時をかける少女(アニメ版)
これまでも何度も映像化されてきた筒井康隆の同名小説をベースとした作品。とある事から過去に時間を遡る能力“タイムリープ”をみにつけた少女の物語です。監督は『ONE PIECE ワンピース THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島 』の細田守。キャラクターデザインは「エヴァンゲリオン」シリーズの貞本義行、脚本が奥寺佐渡子。同じメンバーが現在大ヒット中の『サマー・ウォーズ』を手がけている。
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「時をかける少女」と言えば原田知世を思い浮かべるのが私の世代。当時角川からデビューしたばかりの知世チャンのイメージをアニメで超えられるのかという一抹の不安もありましたが、それは全くの杞憂でした。実は今回は再鑑賞になります。初見当時はブログ未開設だったことと『サマー・ウォーズ』の公開もあり、せっかくなので今一度見直してみようと思った次第。もちろんラストが解って観ているのですが、それでも良いものはやっぱり良いですね。夢中になって観入ってしまいました。


物語序盤は実はそんなにどうと言うこともありません。真琴(仲里依紗)と千昭(石田卓也)と功介(板倉光隆)の関係や真琴がタイムリープする能力を得たきっかけが淡々と描かれます。偶然得たその能力は、その時点では観ている私たちにも解りませんが、真琴の自転車のブレーキが故障して踏切事故に遭うところで初めてその能力が発現。そしてこの辺りから真琴自身がその能力に気付くまでは観ていてちょっと混乱するかもしれません。というか私は時系列がバラけて一瞬中心となる時間軸が解らなくなりました。


つまり本作は過去のある時空間に戻るのではなくて、あくまでも一瞬で時間を巻き戻すというイメージなんですね。だから過去に戻っても過去の真琴が居るわけではないし、真琴自身にとっての時間の流れも記憶も途切れず続きます。これは実は本作ですごく重要なこと。教室の黒板に、誰が書いたのか「Time waits for no man.」(時は誰も待ってくれない。)の文字がありましたがその通りで、例えタイムリープしても真琴が過ごしているのは彼女自身の“今”であって、自分や誰かの過ぎ去った時を過ごしているのではないのです。


終盤での功介の運命を変えようとする真琴の必死さ、功介を事故から救うべく動く真琴の描写は、そのまま彼女の心の描写であり、その緊迫感溢れる怒涛の展開は観る者をも巻き込みます。そして功介は助かったものの、代わりに千昭を失う喪失感。この時点で真琴はまだタイムリープにまつわる真実に気が付いていません。しかし、自分の腕に浮かび上がったタイムリープの残り回数が残り1回に“戻っている”、このことに気付いた時、彼女は全てを悟ったのだと思います。そう、彼女が“今”を生きているように、未来から来た千昭も彼自身の“今”を生きていて、彼からすれば過去の時に生きている真琴とは相容れない、共に過ごすことは出来ないと。


ラストのセリフ、千昭の「未来で待ってる。」と真琴の「すぐ行く。走っていく」はお互いに同じ“今”を生きようという誓いなのではないでしょうか…。切ないけれどあくまで前向き、元気をもらえた作品でした。


さて、最初に再鑑賞だと書きましたが、初見の時に感じた変な違和感、即ちタイムパラドックスが今回は理解出来たようです。それはこの作品の肝の部分、タイムリープできる回数について。真琴は最後の1回を使い切ってしまい、功介が事故に遭うのを防げません。しかし変わりに千昭がタイムリープすることで功介は助かります。ここがポイントでした。今まであくまでも時間軸の中心は真琴。彼女が生きている“今”を私たちは観てきた訳で時間軸の中心は真琴にありました。それは先に書いた通り、タイムリープしても時間が戻るだけで本人の時間の流れも記憶も途切れず続いているから。


ところが千昭が最後のタイムリープをして真琴の前に現れてからは、私たちは千昭の“今”を見せられているのです。時間軸の中心はこのとき千昭に移っています。千昭の“今”の中にいる真琴は当然“過去”の真琴です。しかし何故か真琴の時間の流れも記憶も今までと同じように続いてしまう。言い換えるとこの時点で真琴はタイムリープの残り回数が0であると気付いているハズがないのに、0だと思い込んでいて、後で気づく。ここに妙な違和感を感じていたのでした。って、この説明であってるのかな?
個人的おススメ度4.0
今日の一言:タイムパラドックスが起きていますよね?
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