代行のススメ
『代行のススメ』のススメ
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今年の7月26日に亡くなられた名優・山田辰夫さんの遺作です。実にしっくりと人の心を捉えて離さないヒューマンドラマでした。山田さんが演じるのは主人公・木村カヨ(藤間美穂)の父親・和志。田舎に良くいる、昔ながらの寡黙で亭主関白なお父さんは、山田さんらしい朴訥さと、不器用さが滲み出ている演技だったと思います。物語は、自分は誰かの“代わり”に過ぎないのだと、自らを見失ってしまったカヨが実家に戻り、そこでカヨとは逆に誰かの“代わり”をすることを仕事にしている父と生活していくなかで、徐々に自分を取り戻していくというもの。


担任の先生が一年間の産休の間、一生懸命代理教師を務めてきたにも関わらず、お別れ会の席にその担任が現れただけで、生徒は全員そちらにいってしまった――。離婚た直後に元カノと寄りをもどした元旦那、元カノに「あなたは私とやり直すまでの代わりだって彼は言ってる。」なんて言われてしまい――。「私って一体なんなの?所詮誰かの代わりでしかないの?」カヨがそう思ったとしても無理からぬことでしょう。人間なら誰でも他人に自分を必要としてもらいたいという気持ちはあるはず。冒頭のこの2つのエピソードは、カヨの気持ちに共感を抱かせるに十分な内容でした。


ところが、実家に帰れば帰ったで、自分があれほど嫌っている誰かの“代わり”に成ることを仕事にしている両親がいました。最初は一切手伝わないカヨですが、毎日を過ごすうちに少しづつ変わっていきます。実家に戻ってすぐ、母親が体調を崩して入院しても「私はお母さんの代わりじゃないから。」と食事もまともに作らないカヨ。しかしお惣菜がパックのまま食卓に並んでいる様子は、何かしらノスタルジックな光景でした。「おまえなぁ、せめて皿に移せよ。」父のセリフはその昔、我が家でも全く同じ事があったことを思い出させます。


渋々手伝い始めた代行屋ですが、ある日とある婦人からお墓参りを頼まれます。仕事が終わり婦人の自宅を訪れると、満面の笑みでこういわれたのでした。「あなたに頼んで良かった。」満更でもなさそうな表情をするカヨ。この一件から彼女は少しづつ気付いていきます。“代わり”をするということ自体が他の誰かに必要とされているのだということに。そして、同時に本当に大切な人に“代わり”はいないということを。それを決定付ける直接的なエピソードは母の死でした。しかし本作はその母の死を具体的に描いていません。そこが本作の上手いところでもあります。


つまり母の死を描く“代わり”に代行屋を手伝う男性の娘とのエピソードでそれをカヨに気付かせているのでした。離婚し母方に引き取られた娘が、母の再婚で関西に行ってしまい、父とお別れのデートをすることになります。まだ年端も行かない少女が「私はお父さんの代わりがいるから寂しくないよ。」とけなげに語るも、いよいよお別れの時になると、お父さんから離れない…。それを見たカヨは、“代わり”になれない存在があることに気付くのでした。矢柴俊博と子役の少女という、地味で目立たない2人のシーンでしたが、心の伝わる好演だったと思います。


父・和志はもとタクシー運転手でした。代行屋になった理由をカヨが尋ねても「忘れた。」としか言いません。しかし、きっと和志もカヨと同じで、誰かの運転手の“代わり”ではなく、自分自身を必要として欲しかったのではないでしょうか。なんたって親子なんですから。カヨが自分を取り戻すまでに経験するいくつかの出来事は、一つ一つは小さいことだけれども、とても丁寧に描かれています。それらを通してカヨの気持ちが揺れ動く様子がとても解り易く表現されていました。


ラストシーン、細かくは書きませんがカヨの行動に唖然とする父・和志の顔がユニークでした。やっと父と娘として胸襟を開いた交流が馴染んできた矢先のとある出来事。でもカヨはきっとこう思ったはず。「ごめん父さん。でも私はお母さんの代わりじゃないし、代わりはできないから。」と。もちろんその想いは、実家に戻った時の想いとはまた違った意味でですけども。
個人的おススメ度3.5
今日の一言:謹んで山田辰夫さんのご冥福をお祈りします。
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