殺人の追憶/살인의 추억
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胸が痛いほどリアルな心理描写 |
あらすじへ
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ポン・ジュノ監督の『母なる証明』公開に先立っての鑑賞です。非常に高い評判を得ていましたが、噂に違わぬ秀作でした。今回の『母なる証明』も、マスコミ試写ではあまりの人気で立ち見が出るほどだとか。コテコテなストーリーが典型的イメージな韓流映画のなかで、とても写実的でかつ深い人間心理の描写がなされた作品で、なるほど『チェイサー』が公開された時に本作が話題に上がるのも無理からぬところだと今更ながらに納得です。映画冒頭に表示されるテロップに、この事件が韓国の軍事政権下時代に起こったものである事が記されますが、事件そのものは1986年の話。ほんの23年前、というより私が高校生の時には軍事独裁政権だったのかと、改めて思い返しながらの鑑賞でした。


ソウル近郊の農村で、突如として起こる連続強姦殺人事件。捜査に当たるのは地元警察署の刑事パク・トゥマン(ソン・ガンホ)とソウルから派遣されてきた刑事ソ・テユン(キム・サンギョン)の2人。容疑者の顔写真を見ていると勘で犯人が解るといってはばからないパク刑事と書類は嘘をつかないと資料に没頭するソ刑事は実に対照的で面白いです。この対比は即ち人間と科学の対比に他ならず、その意味では物語全体がこの対比を軸に描かれているといっても良いかもしれません。それにしてもこのパク刑事がむちゃくちゃ。犯人とめぼしを付けたら拷問で自白を強要するのですが、そんなやり方が上手く行くはずもなく、やがてそれはマスコミにばれることになります。


ソ刑事は余所者だからか、パク刑事の捜査手法を覚めた目で見ているだけ。水と油の2人がぶつかり合うのは当然で、パク刑事は「アメリカのFBIは頭を使って捜査をする、それは国土が広大でそうしなければならないからだ。しかしちっぽけな国土の韓国の刑事は足を使って捜査をするんだよ。」と。ソウルから来たソ刑事を皮肉るのでした。この辺り、日本の所轄署と警視庁、或いは都会の警察署と田舎の警察署の温度差と言うのはどの国でも同じなのだなと何やら妙に納得です。実のところ物語の半分近くの間、この2人はそれぞれ勝手に捜査を進めています。


確かに現実的にはテレビドラマのように進まないのは解りますから、中々解決の糸口が見えないのはリアルといえばリアルなのですが少々退屈。しかし、唯一の女性警察官の発見で、殺人が起こる日に必ずラジオで特定の曲が流れることが解ると物語は一気に動き始めます。ここから先、ソ刑事とパク刑事は協力して事件に当たるのですが、同時にここからのストーリーが本作を秀作たらしめているといっても過言ではありません。おかしな話ですが、容疑者のヒョンギュ(パク・ヘイル)が画面に登場した瞬間、恐らく見ている人は直感的に「こいつだ!」と確信するでしょう。


それは先に書いた人間と科学の対比に通じるところでもあります。パク刑事もソ刑事も恐らく状況証拠はもとより、刑事の直感でヒョンギュが犯人である事は間違いないと思っているハズ。しかし、直感的にそう思っても物的証拠は皆無。結局被害者についていた精液をアメリカに送ってDNA鑑定をしてもらうことになります。当面はヒョンギュを釈放せざるをえない…悔しさに歯噛みするソ刑事の気持ちが痛いほど伝わるシーン。しかし、そんな彼をあざ笑うかのごとく再び起こる強姦殺人。人間と科学の対立軸の中で、科学よりの立場をとっていたソ刑事が人間としての怒りに支配され、土砂降りの線路の上でヒョングを殴りつける様子からは、恐ろしいほどに人間臭い迫力を感じます。


追い討ちをかけるようにアメリカからの鑑定結果が。結果は「DNAは一致せず。」。どうにも救いようが無い結末…。数年後、刑事をやめたパクが仕事の途中に事件現場を通りかかります。そこで出会った小学生はパクと同じように現場を覗き込んでいた男がいたと話すのでした。「どんな顔だった?」という問いに「普通の顔。」「よくある顔よ。」と答える少女。やはり犯人はあいつなのか…、遠い目をするパクの脳裏に映し出されたのが恐らく本作なのでしょう。なるほど、『殺人の追憶』という邦題も秀逸です。
個人的おススメ度4.0
今日の一言:邦画でこういう作品がないのは何故?
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