パチャママの贈りもの
南米ボリビアにあるウユニ塩湖近くに住む先住民族ケチュア族の家族を描いた作品。監督は意外にも日本人で松下俊文で本作が長編デビュー作だ。哀愁をさそう独特の音楽を同じくケチュア族出身でボリビアを代表する女性歌手ルスミラ・カルピオが担当する。「パチャママ」はケチュア語で「母なる大地」を意味している。そのパチャママの恵みに感謝しつつ相互扶助の精神で生きる姿に本当の豊かさを見る思いだ。
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素朴で豊かな人間の営みがあった |
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アンデスの民族音楽に心惹かれて鑑賞してきました。それにしてもどうしてこんなに郷愁を誘うのでしょうか。物語は南米ボリビアのウユニ塩湖近くに住む先住民族のケチュア族の家族の様子を描いています。ケチュア族はインカの末裔で、その生活風習はほぼ当時のまま残されているのだとか。村を捨てて都会に出て行く家族もいる中、主人公の少年コンドリ(クリスチャン・ワイグア)の一家は頑なに昔ながらの生活を守っています。祖母が痩せた土地に唯一育つという主食のキヌアをの種を唯一人蒔き続けている姿が象徴的でした。ところでちょっと驚いたのですが、この作品の監督が日本人だということ。松下俊文監督はニューヨーク在住だそうです。
“パチャママ”とはケチュア語で“母なる大地”を意味するのですが、彼らはまさしくパチャママの大きな恵みの中で生きていました。何とも素朴な暮らしの様子がスクリーン上を淡々と流れて行きます。塩湖で塩の塊を切り出す者、家で機織をする者、近所の子供たちは集まって元気一杯遊んでいる…。そんな中、コンドリの祖母は突如亡くなってしまいます。悲しみに暮れる家族。そして家族だけでなく村人みんなが祖母の死を悼みその葬儀の列に加わるのですが、それは昔の日本でも良く見られた風景でした。小さな社会共同体での暮らしという意味で、コンドリたちは日本が忘れつつある生き方を実践しているといえるでしょう。
ウユニから切り出した塩の塊をリャマの背に乗せて運ぶキャラバン、去年までは祖父と父が出かけていましたが、今年からは父とコンドリで出かけることになります。3ヶ月にも渡る行程、この物語のメインストーリーとなるこの旅は、彼らケチュア族の文化・風習・生き方が全て込められた旅でもありました。最近では車で運ぶことも多くなったこのキャラバン、しかし車が入れない場所にもウユニの塩を待っている人がいるのだと父は言います。苦労して運び、1年ぶりの笑顔の再会を果たし、持っている塩を他の物と交換する…、そうキャラバンの基本は物々交換なのでした。かぼちゃ、ウリ、トウモロコシ…塩も含め何れも貴重なパチャママの贈り物なのです。
パチャママの恵みに素直に感謝する彼らは見ていて実に素朴で気持ちが良いのでした。更にこの旅の途中で際立っていたのは彼らの相互扶助の精神。パチャママの子達はみな兄弟であり、どんな時でも助け合う、「困った時はお互い様」が合言葉のようでした。時にそこまでと思うほど父とコンドリは様々な人を助けつつ旅を行きますが、逆に彼らのキャラバンからリャマが2頭いなくなると近くの村人が夜に総出で松明片手に探し回ってくれるのです。まさに「情けは人のためならず」。他にも鉱山に働く友達の父が事故で死んだり、骨折で動けなくなったリャマを安楽死させたりと、実に様々な経験をしていくコンドリ。そして旅の目的地では初恋までも…。
村に戻ると、祖母の蒔いたキヌアが豊かに実っています。それは祖母のパチャママの下に還って行った祖母の命の実りのようでもありました。そしてまた再び塩の塊を切り出す毎日が始まります。きっとまたキャラバンに出かけるまで同じ生活が淡々と続くのでしょう。しかし、パチャママの贈り物に感謝し、パチャママの子たちとして生きていく彼らの姿が実に豊かに見えるのでした。エンドロールで流れる音楽がお気に入りです。
個人的おススメ度3.5
今日の一言:ルスミラ・カルピオのCD買おう…
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