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あらすじへ
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久しぶりにこんなにチープな映画を観てしまいました。なんとも上っ面だけの空疎なセリフが虚しく空回りしている…正直言って水川あさみの存在感と演技で何とかみていられますけれど、彼女がでなかったらとても観ていられない作品でした。それにしても良作を架けることで知られるシアター・イメージフォーラムがなぜこんな作品を、たとえ日に1回のレイトショーとは言え上映しているのか疑問に思っていたのですが、石侍監督のプロフィールを見たら推測がつきました。


イメージフォーラムでは2月6日からロシアの映像詩人、アンドレイ・タルコフスキーの「タルコフスキー映画祭2010」を開催します。石侍監督のプロフィールによれば、元々造形作家だったのが29歳のときにタルコフスキー監督とであったことで映像作家に転身したのだとか。要はそのつながりでということなのでしょう。言ってみればメインの前の前座とでもいうのでしょうかね。いずれにしろ、そんな由縁は全く知らずに観たのは、おかしなフィルターが掛からずに良かったと思っていたりもします。


物語の流れとしては、水川あさみ演じるところのミキという看護師ロボットが他の看護師や患者との触れ合いを通じて、自分の存在に対する疑問を膨らませて行くというもの。実は彼女に対する正式な説明は最後まで全くありませんが、はっきり言って30分も見ていたらほぼ全て想像がつくレベルの話でした。良く解らないのはロボットのシステム的な理屈。もちろんフィクションなのですから実際に出来なくてもそれは構いません。ですが仮にもSF映画なんですから、最低限の説明は必要でしょう。


もしかしたらロボットであるというメカニカルな定義を敢えて隠したのかもしれません。“ロボットでありながら心は人間”とでもいうようなあやふやな存在にしておくことで、観客にもミキと一緒にその存在理由を探してもらおうと考えたのでしょうか。しかし、それなら簡単に想像がついてしまうような情報の出し方をしては駄目ですね。心は人間、体はロボット、早々にそこまで解ってしまって観ていると、あとはミキ自身がそのことにいつどういう形で気がつくのかだけが見所で、途中の悩みの部分がチープにしか見えません。


村田雄浩演じる患者・田辺は何かの病気で体中管だらけ。いわゆるスパゲティ症候群というやつです。機械に無理やり生かされている彼は人間としての死を望みます。それを聞いたミキがそれでも生きいることが大切だと説きつつも、自分の存在に悩むというシーンでは、それこそ素人でも考え付くような展開とセリフのオンパレードにすっかり白け気分。「人間として死にたい。」だの「それは間違ってる」だの、もういいから次に行ってくれと。結局ミキが自分が何者かを悟るのは、突然登場した昔の友達から話しを聞くという流れ。それじゃ今までの登場人物は何だったんでしょうか…。


田辺の尊厳死に手を貸した看護師を追いかけてロボットの体のまま街に走り出すミキ。そのCGのあまりの酷さは目を覆いたい程。今時テレビ地上波のCGでももっとマシな映像です。あまりのカクカク具合や、背景とのミスマッチにかろうじて保ってきていた気持ちの糸が完全に切れた瞬間でした。タルベーラ監督がこの作品を観たらどう感じるでしょうか…、「素晴らしいよ、石侍!」とは言わないと思います。
個人的おススメ度★2.0
今日の一言:★1つは水川あさみの分です…
総合評価:39点
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