ミスティック・リバー
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| 運命は変えられないのか |
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これはアメリカの抱える病巣を切り取って見せるクリント・イーストウッド監督らしい作品とも言えるのかもしれません。ただ、鑑賞後のこの何ともいえない後味の悪さというか嫌らしさを観た人がどう受け止めるか…。個人的には何故か好きになれないショーン・ペンの存在も相まってなんともやり切れない気持ちになりました。物語はボストンの道端で遊ぶ3人の子供たちという、到って無邪気なシーンからスタートします。半乾きのセメントにいたずらで自分の名前を書く3人ですがそこで事件は起こりました。

その行為をとがめる大人にデイブ一人だけが誘拐され性的虐待を受けます。実はこのシーン、何か違和感を感じ何度か見直したのですが、結局彼は誘拐されるべくして誘拐されたのではないか、そんな風に思いました。それは即ち3人の中でデイブが一番素直な子供だったから。「公共の道路に悪戯をしていいのか?」と問い詰められて、一番最初に「No Sir.」と答えたのは他ならぬデイブでした。ジミーにいたっては、「Sir」を付けずに答えて「生意気だ」といわれる始末。そんな彼が自分の家を聞かれて素直に本当の事を答えるのは当然の事。そして、それ故に送っていくという理由で誘拐されてしまったのです。

この冒頭のシーンとラストのシーンは対になっていましたが、この時点では当然解るはずもなく…。4日後…なんとか逃げ出したものの彼の心には深い傷が。そして25年後…滑らかであるはずのセメントの表面に残った文字は、決して消えることのない傷という意味で正しく事件の象徴といえるものでした―。分岐した人生、それぞれ大人になったジミー(ショーン・ペン)、デイブ(ティム・ロビンス)、ショーン(ケヴィン・ベーコン)はジミーの娘ケイティーが殺されるという事件がきっかけで、再び交わり始めます。犯人を自分で探し出して殺そうとするジミーのやり方は、気持ちはともかく西部開拓時代から続くアメリカ気質を感じました。

それにしてもオスカー獲得の2人が素晴らしい…。ジミーを演じるショーン・ペンの父親としてのほとばしる様な怒りと悲しみ、そして同時に裏の顔・犯罪者としての怒りと殺意。まるで異なる人格に見えるほど異なった表情をみせてくれます。一方でデイブを演じるティム・ロビンスは普通に子供や妻・セレステ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)と話していたりする時ですら、そこから漂ってくる精神的な脆さ、それはまるで不安定のオーラに常に包まれているかのようです。今は殺人課の刑事になったショーンがこの2人の間に挟まる形で捜査を担当しますが、三者間に漂う部妙な雰囲気や距離感がまた見もの。

個人的には一番好きなケヴィン・ベーコンなのですが、さすがにこの2人に挟まれるといま一つ押しが弱いか…。というより、3人が対峙するシーンは25年の間に溜まった澱の中に観ているものを引き込むかのようで、どうにも重苦しい嫌な感じ。しかしそんな中、ショーンの相棒であるパワーズ刑事(ローレンス・フィッシュバーン)の極めて現実的な刑事としての厳しい言動が、むしろこの膿んだ空気の中に新鮮な酸素を吹き込んでくれます。彼がいないと観ているほうも息が詰まりそうなんですね。いずれにしても、ジミーはデイブをバーに呼び出し、本当に殺したのかを問い詰めます。そして…

(ここからネタバレ含む。)
最初に書いたとおり、ラストはあまりにやり切れないものでした。特にデイブたち夫妻の報われなさに暗澹たる思いになります。セレステは事件当日血まみれで帰宅したデイブがケイティーを殺したものと思い込み、それを正直にジミーに相談してしまうのでした。またそれを聞いたジミーに「正直に認めれば殺さない」といわれたデイブは、嘘をついてケイティー殺害を認めます。25年前は正直に答えて彼は悲劇に見舞われました。しかし今度は嘘を答えたにも拘らず命を失ってしまう…。

結局どう転んでもデイブにとっては良いことがないのですね。しかもそれがジミーの勘違いだったとくれば、もはやデイブは浮かばれません。しかもショーンもその事実に気付きながら何も言わない…。ラストシーン。パレードの最中に必死でデイブを探すセレステと、ジミーの顔をいたずらっぽい笑顔で見つめ、手でピストルを撃つ仕草をするショーンの余りの場違い感、私はそのギャップに混乱してしまいました。
個人的おススメ度
3.5
今日の一言:ジミーの奥さんが一番恐ろしい…
総合評価:67点
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