ショパン 愛と哀しみの旋律/Chopin. Pragnienie milosci
ピアノの詩人が安い昼メロに |
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ショパンといえばピアノの詩人と呼ばれる天才作曲家。その伝記と言うからには、あの名曲の数々の生まれるきっかけであるとか、出来る過程などを知ることが出来ると思っていたのですがトンだお門違いでした。もちろん劇中ではクラッシックに疎い私ですらしっている名曲の数々が奏でられるシーンが何回かはあります。しかしストーリーの大半はショパン(ピョートル・アダムチク)と女流作家ジョルジュ・サンド(ダヌタ・ステンカ)との関係を描き出すのに費やされ、やがてそれはサンドの娘ソランジュ(ボジェナ・スタフーラ)や息子モーリス(アダム・ヴォロノヴィチ)とのドロドロの確執へと繋がってゆくのでした。史実に基づいているのかも知れませんが、これがもう嫌になるほど安っぽい。
そもそも上映開始と同時に思いっきり違和感を感じたのは、ポーランド人のショパンとその家族が普通に英語で話していること。仮にもショパン生誕200年記念の作品ならポーランド語を使うべき所は使わせないと。フランスに行ってジョルジュ・サンドと出会うと今度はフランス人のサンドも英語。ショパンの身の回りの世話をするポーランド出身のヤンがポーランド語でサンドにまくし立てるシーンではショパン自らが「彼女の前でポーランド語は止めろ」と言っていることから、どうやら物語中で言語の違いという概念は存在していることが解ります。何だか杜撰な設定を感じながら見ていくことになるのですが、それでも序盤、ショパンがサンドと同棲するあたりまではまだマシでした。
とはいえ、人間関係の描写がこれまた杜撰なんでいきなり登場してくる人々が一体どんな人物なのかを把握するのに一苦労。ショパンの友人だとかサンドの叔父だとかいつの間にか物語りに当たり前に登場してきているし…。結局最後まで変わらないのは、単にショパンに起こった細かいエピソードを羅列しているに過ぎないと言うこと。作品の側でそれぞれのエピソードを有機的に絡ませてくれないので、観ている側は自分でその作業を行わなくてはなりません。ショパンの“伝記”物語なのですから「こうなんだろうな…」と想像させることにどれほどの意味があるというのか。さて、言葉もダメ、ストーリー構成もダメな状況に持ってきて、サンドの子供たちが大人になってくると更にうんざりな展開に。
モーリスは元々極度のマザコン。少年時代に母とショパンがベッドを共にしているのを目撃して以来彼の事を嫌っています。息子の描く才能のカケラも感じられない絵をサンドは褒めちぎり、それ故に余計にマザコン度合いが増していく悪循環。笑ってしまうのが、息子役のアダム・ヴォロノヴィチとショパン役のピョートル・アダムチクが実年齢にして僅か1歳しか違わないこと。実際にはモーリスは1823年生まれ、ショパンは1810年生まれで13歳も違うのですからこれはもう無理過ぎ。2人が並んだらどちらが息子なんだかわかりゃしない…。結局ウダウダとこのバカ息子との確執を見せ付けられつつ、そこに娘ソランジュまで加わってくるのです。
何故だか知らないけれどショパンを愛してしまったソランジュは必死で彼を誘惑し、母親に嫉妬したあげく、あて付けにそこらの彫刻家と寝て結婚するという…。ショパンの一生を追いかけて史実を積み重ねていったらそうなるのかも知れませんが、所詮サンドの家族との確執部分など脚色するしかない訳で、何故そこにこれほどまでの厚みをもたせるのかが意味不明。その愛憎劇がショパンの音楽にどのように影響を与えたのかについては全く語られないのなら単に安っぽい昼メロに過ぎません。繰り返しになりますが、結局良かったのは2,3回あるショパンの演奏シーンぐらいで、後はキャスティング、構成、脚本のどれもが水準以下の作品と言わざるをえないでしょう。
個人的おススメ度2.0
今日の一言:ショパンが泣いている
総合評価:47点
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