死にゆく妻との旅路
何か違うと思うぞ、久典 |
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原作未読なので実際はどんなものかは解りません。ただ正直言ってこれを感動しても良いものかどうかちょっと悩んでしまう作品でした。とは言いながらも、ラストで主人公・清水久典(三浦友和)が見せた慟哭には思わず涙がこぼれたのですが…。縫製工場を経営していた久典は、バブル崩壊で経営が傾き4千万円もの借金を抱えてしまう…と公式サイトのストーリーにはありますが、劇中では他人の借金の連帯保証人になって、それが元で1千万の借金を抱えてしまったと言っています。どちらが本当なのかは解りませんが、とにかく彼は借金を抱え、親族会議でどうするのかと相談している最中にトンズラしてしまうというところが映画の始まりでした。本来であればその借金問題が物語にどう絡んでくるのかも知りたい所ですが、これより後それに関しては殆ど描かれていません。
がんで入院していた妻・ひとみ(石田ゆり子)は退院すると、娘の沙織(西原亜希)の家で久典の帰りをひたすら待ち続けます。この待ち続けるという流れが、後々夫婦で旅にでても久典と離れるのが嫌で絶対に病院で治療を受けないというひとみの行動の大本となってくるのでした。しかしながら、出来れば事前にひとみが片時も離れたくないほど久典を愛していたのだということを少しでも見せて欲しかったところです。結婚してから20数年間の幸せだった月日を印象付けてくれるシーンが何も無いのは少々寂しい気がしました。タイトルからしてひとみが末期がんなのだろうと想像はつきますが、例えば1シーンでもいいので病院の医者と久典の会話のカットを挟んで印象付けておきつつ、幸せなシーンも見せておくことで、2人の気持ちに共感しやすくなるのではないかと思うのです。
序盤まだひとみが元気な時期は、ワゴン車に布団を持ち込んで寝ながら、キャンプ用品で自炊生活を送る2人が実に楽しそう。というより、私自身が時間が許すならこんな旅をしてみたいものです。一応行く先々のハローワークで仕事を探しながら、様々な観光地を巡ったりしているのですが、ひとみが「初めてのデートよ」と言うように、結婚してから今まできっと必死で脇目も振らず働いてきて、こんなにのんびりと夫婦で旅を楽しむことは無かったんだろうなと想像できます。病に冒されながらもいつも晴れやかで楽しそうな表情を浮かべ、「アイス買ってもいい?」とかスーパーでスカートを見ながら「一着だけ買ってもいい?」なんておねだりするひとみは時として少女のように可憐で可愛らしく、守ってあげたい気持ちにさせられます。
『サヨナライツカ』では強烈なインパクトのながらも好演が光った石田ゆり子ですが、今回は真逆の役に上手くシンクロしていたように感じます。しかし、突然彼女を襲う再発。ここで物語上では初めて“3ヶ月で再発する末期がんだった”ことが明らかになるのです。何やら唐突に昔の取引先の人間に漢方薬を譲ってもらうシーンが差し込まれ、そこで明らかになるのですが、そんな適当なことをしなくても先述したように、最初に短く医師と久典のシーンを挟めば、観ているほうはそれで自然に理解できたはずなのに。ここから先はどんどん衰弱していくひとみを看病しながら旅を続け、やがてとある港町に滞在することになります。実話に対して何をどういっても仕方ないのですが、私は病院に連れて行かないことが必ずしも彼女のためだったのかというと違うと思っています。
従って久典の行為には到底納得できません。何故病院で治療したらそれが即離れ離れになることを意味するのかが解らないのです。彼女が自分が入院したら、その間に夫がまたどこかに行ってしまうと不安になる気持ちはよく理解できますが、そんなことをしないのは久典自身が一番良く解っていたはず。私は闇雲な延命治療を良しとするものではありませんが、他に手段がありながら愛する人の苦しむ姿を観ていることには耐えられないです。その時彼女に対して出来る最高のことをしてあげたいと考えたのはもちろん久典も同じだったのでしょうけども、その中に自ら手首を切るほどの彼女の苦しみを取り除いてあげるという選択肢がなかったのが残念でなりません。旅の初めに2人で訪れた東尋坊に向かう最中にひっそりと息を引取る彼女。
結果的に久典は保護責任者遺棄致死で警察に逮捕されますが、それに関しては私は何の感慨も抱きませんでした。法の手続きの話と個人の感情の話はまた別の話で分けて考えるべきでしょうから。物語の構成的な部分と主人公への感情という2点で、この作品を無条件に賞賛する気持ちになれない自分がいます。
個人的おススメ度3.0
今日の一言:でんでんさんが元に戻ってた…w
総合評価:63点
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