ミツバチの羽音と地球の回転
山口県田ノ浦で進んでいる上関原発建設に反対しながら日々の生活を送る祝島の人々や、2020年までに原発に依存しない社会を目指すスウェーデンの人々の取り組みを追いかけることで、日本人が今後進むべき一つの方向性を提示したドキュメンタリー。監督は『六ヶ所村ラプソディー』の鎌仲ひとみ。福島第一原発事故が起こったこのタイミングだからこそ余計に観るべき作品だ。 |
原発が悪じゃない。選択できないシステムが悪だ。 |
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地震と原発事故の影響が考慮されて上映が一時中止になっていた本作、一足早く川崎で再開されたので観て来ました。この作品は、原発に賛成反対関係なく、これから先の日本を、日本人の生き方を考える上で全ての人が観るべきものだと思います。むしろ有料の映画ではなく、NHK辺りが買い取って地上波で放送したほうがよいのではないかとすら思いました。主な話は山口県田ノ浦に建設予定の上関原発計画に向き合う祝島の人々の姿に密着したもので、途中に2020年には脱原発宣言をしたスウェーデンにおけるエネルギー問題への取組が紹介されています。つまり本作では単純に祝島の人々の反原発運動を紹介しているのではなく、原発を無くすのであれば、私たちはどういった行動をし、生活を送るべきなのかという選択肢の一つを提示しているのです。
私個人としては原発は今現在は必要悪だと考えています。単純に危険だから、怖いから、事故が起こったからという理由でそれが直ちに全ての原発を無くす、止めることに繋がるのは現実的ではないとも思っています。風力発電、地熱発電、波力発電など、エコエネルギーを代替とする案もそれそのものの存在価値だけを理由に主張されても到底納得は出来ません。しかし、本作を観て痛切に感じたのは、そもそも私たちには選択する自由が無いことこそが問題なのだと言うことでした。コスト高になろうと原発よりもそちらを選びたい人、危険を承知で原発を選びたい人、きっと色々いるでしょう。しかし今現在は火力・水力以外は原子力しか道筋が用意されていません。祝島の住人にも当然そうした選択の自由はない訳で、国の原子力政策に後押しを受けた県と中国電力は建設ありきで島民たちと接するのでした…。彼らは抗議行動をしている島民たちに対して言います。
「このまま、本当に農業とか、第一次産業だけで、この島が良くなると、本当にお考えですか?」
「みなさんが心配しておられるような、海が壊れることは絶対にありません。絶対と言っていいほど壊れません。」
ちなみにこれは中国電力の担当者の言葉を要約したものではなく、実際にスクリーンに映っている担当者が言っていることそのママです。なんと傲慢な発言なのか…。軽々しく“絶対”などという言葉を使う人間など信用できるはずも無く。作品は、そんないい加減な言葉に対して、実際の島民の生活ぶりや考え方、或いは現実に変化した映像を見せることで静かに反論をしています。最年少の島民である山戸孝さんの言葉と、漁師で60歳になる岡本さんの言葉はとても印象的でした。
山戸孝「原発推進派の人に、前にビワだけで喰って行けるわけがないだろう、とか、言われるんでね、そりゃそうですよと。(中略)だって、祝島は祝島だったら、この島というもので、全体で生きていくんじゃから」
岡本「この歳になって、はあ60になったんじゃが、まだ、それでも流れいうのはわからん、読みきれんのよ。まだまだわからんこといっぱいある」
さて、この山戸孝さんの言葉には、今後私たち日本人がエネルギー問題に関して進む上での一つのヒントが含まれていました。それは“島全体で生きていく”ということ。劇中紹介されるスウェーデンのエネルギー問題への取組は、正にそれを実践したものでした。即ち「地域自立型エネルギー」への取組です。不要となった木の屑をペレットとして燃やし温水暖房として地域で利用したり、豊富な風資源がある地域では風力発電を利用したり、たった4人で運営している酪農経営システムでは、それに費やす電力を家畜自体のし尿を基にしたメタンガスから生み出す試みが続けられています。こんな取組を実現できるのも、全て“電力の自由化”がなされているから。競争のある社会ではサービスの拡充が図られる、それは電力会社の利益(利権)を第一に考えている現在の日本とは全く異なります。
原発の反対を、危険性を声高に叫んだとしても、この枠組みが変わらない内は絶対になくならないでしょう。例え今回のような事故が起こっていても。競争に晒された企業がどう変わって行くのかは、例えば携帯電話キャリアなどをみていれば明らかです。不幸なのはこうしたシステム的な不備、いや過ちを、私を含め多くの人間が知らないこと。だからこそ私はこの作品を出来るだけ多くの人が観て“学ぶ”必要があるのだと思うのです。日本で電力の自由化がなされていないことを知ったスウェーデン人に「そんなはずはないだろう。」と言われた時、正直苦笑いするしかありませんでした。つまり彼らからしたら世界トップクラスの経済大国で先進国の日本がそんなことすら出来ていないはずがないと思っていたということだから。
話しは逸れますが、東京都の石原都知事は自ら原発推進論者を標榜し、過去には「完璧な管理技術を前提とすれば、東京湾に立派な原子力発電所を作ってもよいと思っている」と語っています。大間違い。前提とするのは「完璧な管理技術」ではなく、「東京都民がそれを選択した場合」です。「完璧な管理技術」は前提ではなく当たり前のこと。(完璧などありえませんが。)キチンと選択肢を与えられた上で、リスクを甘受しても地域住民が原発を望むのならそれも一つの道であると私は考えます。しかし、都民はそこまでバカでも楽天的でもないと思いますが。それは現在原発がある地域の住民や、建設予定地の住民も同様でしょう。繰り返しになりますが、“選択できること”これが何より重要であって、単純に原発そのものに対して賛成だ反対だを論じることには意味がありません。結局は私たち個々人が何に対してプライオリティを置くのかということでしかないのだから。話しを戻します。先に登場した山戸孝さんはこうも言っています。
「自分の子供に何を残すかって言ったら、やっぱり、きれいな海とかそういう、その、なんていうかな、色んなもんを生み出してくれる自然環境を残したいっていうのが、優先順位としては高いんですよね。」
彼のこの考え方、単に環境保護的に受け止めてはいけません。何故なら彼はその為の生活スタイルで生きている、いや祝島全体で生きているのだから。ともすれば反原発=電力足りない=質素な生活と考えがち。しかし彼も、スウェーデン人の人々も殊更豪華ではありませんが、だからと言って赤貧生活を送っているわけではありません。映像から見る限りごく普通に生活しています。もちろんそれはそれぞれの地域にあったスタイルの中で。原発賛成でも反対でもどちらでも構いません。しかしその判断はきちんとした知識を持った上での話しなのか、ステレオタイプな意見に流されていないのか、今一度考えてみるべきではないでしょうか。
4月16日(土)~オーディトリウム渋谷 |
劇場公開リスト |
個人的おススメ度5.0
今日の一言:祝島の方々は広島弁ぽいな…
総合評価:94点
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