津軽百年食堂
青森県弘前市で100年続く食堂があった…。四代目となる主人公が葛藤を抱えつつも店を受け継いでゆく姿を描いたヒューマンドラマだ。主演はオリエンタルラジオの中田敦彦と藤森慎吾。共演に『櫻の園 -さくらのその-』の福田沙紀。監督は『恋する女たち』の大森一樹。初代が店を立ち上げるまでが、現代に通じているという巧みな構成に見入る。 |
何かを受け継ぎ、何かを引き継ぐ |
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青森県は弘前市を舞台にしたご当地映画です。今回の大震災で青森にも被害がでましたが、この映画の収益の一部を日本赤十字に寄付するそうで、なればこそ観に行った私もほんの少しだけお役に立てたかなと。正直言って予告編を観た段階ではオリエンタルラジオの2人の芝居に不安を覚えたのだけれど、予想していたよりはずっと良かったと思います。ファンには申し訳ないけれど、ネタよりこっちのがいいかも。(笑)舞台となるのが弘前市で100年の歴史を持つ大森食堂。大森さんがやってるから大森食堂という至極単純なネーミングで、丼モノやラーメンもあるけれど、なんといっても名物は津軽蕎麦。ちなみに蕎麦の特徴は劇中では特に語られてないのだけれどWikipediaによると、元々はつなぎに大豆を使い、茹でおきのそばをかけで食べるのだそう。


そう言えば、茹でおきかどうかは解らないけれど、蕎麦をお湯に通す時は東京の立ち食い蕎麦のようにサッとお湯で温めるだけに見えたのはそのせいなのかも。さて、本作は明治42年に初代の大森賢治(中田敦彦)が店を創業するまでと、現代の大森陽一(藤森慎吾)が店を継ぐ様子をパラレルに描いているのだけれど、実は歴史としてだけではなく、一本の糸でその2シチュエーションは繋がっていたというのがミソ、というかそれによって2世代2物語を1本の物語に融合していたと言った方が良いでしょう。陽一は東京で働くつもりが仕事がなく、バルーン・アートで食べている毎日。とある仕事先で偶然知り合ったのがカメラマンの筒井七海(福田沙紀)なのだけど、実はこの2人が同じ地元出身だということだけで、それぞれのエピソードは実は殆ど交錯しません。


さて、陽一は父・哲夫(伊武雅刀)が倒れ、祖母・フキ(秋本博子)の懇願もあって父の代役で大森食堂を開けるために帰郷します。ありがちではあるものの、このまま店を継ぐか否かで彼は葛藤するワケ。ただ葛藤するといって良くありがちなこの手のパターンとは少し違っていたのが印象的でした。葛藤はしていても陽一の心は変にささくれ立ったりしていません。それは彼を取り巻く人間がイイ人しか登場しないから。例えば何年も帰郷していなくても、一度帰れば変わらぬ愛情や友情で迎えてくれる家族と親友たち。彼らは良い意味での田舎の人の良さがたっぷりなんですね。父と仲違いするシーンもありますが、陽一自身の郷土や家業や両親友人に対する愛情の強さが全く揺らがないのが観ていてわかるのです。だから決定的な亀裂は走らない。


これは作品全体において重要なポイントで、一体この人とはどうなってしまうんだろうという無駄な神経を使う必要がないから、観ていて実に心がほっと安らぐのです。そしてそれは明治時代の初代・賢治を取り巻く人間関係からして同じでした。特に賢治を支える親友・門田宗八(前田倫良)の関係をそのまま現代の陽一と門田政宗(永岡佑)に引き継がせているあたりの設定が憎いところ。しかしもっと憎いのが最初に書いた一本の糸です。当然ながら政宗は宗八の子孫に当たるわけですが、実は全登場人物の中で唯一人明治の時代と重なっている人間がいます。実はトヨ(早織)は宗八に説得されたというのもありますが、娘の「賢治おじちゃんの蕎麦が食べたい。」の一言で賢治の元に嫁ぐ決心をしたのでした。(要するにフキはトヨの娘だったのです。)


結局彼女のおかげで大森食堂は創業し、今また店がピンチの時に彼女は陽一を呼び戻してそれを救ったということになります。それの意味することは唯一つ、フキは大森食堂を連綿と守り続け、四代目の陽一に引き継ぎたかったのでしょう。それが最後の仕事だとばかりに、直後にフキは亡くなってしまいます。この後、「さくらまつり」参加のエピソードで陽一は父と和解しますが、この時の彼はもう店だけではなくフキがどれだけ大森食堂を大切に思っていたのかの想いも受け継いでいました。倉庫に眠っていた100年前の屋台で蕎麦をゆでるシーンはそんな彼の覚悟の現れです。さて、実はここまで七海に関して殆ど書いていませんが、観ていると彼女のエピソードは本線とは直接関わらないサイドストーリーであることが解ります。もちろん家族愛、郷土愛はたっぷりなのですが。


彼女と陽一は物語を通じて、それぞれの事情がありながらも淡い恋心を育んでいっていました。つまり賢治がトヨを得て新しい人生に踏み出していったのと同様に、陽一も七海を得ることで新しい人生を歩みだすのだと。彼女のその為に存在していたのではないかと思うのです。家族、友人、郷里を愛し、2人で生み出した何かをまた誰かが受け継いでゆく。当たり前に行われていた人の営みが崩れつつある昨今、今一度そのモデルを提示して見せた作品だったのではないか、そんな気がします。きっと大震災でもその生き方は変わらないのではないでしょうか。
個人的おススメ度3.5
今日の一言:頑張れ東北!
総合評価:71点
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