レッド・バロン
第一次世界大戦の撃墜王として名高い“レッド・バロン”ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵を描いた歴史ドラマだ。主演は『ワルキューレ』のマティアス・シュヴァイクホファー。共演に『イングロリアス・バスターズ』のティル・シュヴァイガー、『300 スリーハンドレッド』のレナ・ヘディ、『マンデラの名もなき看守』のジョセフ・ファインズが出演している。監督はニコライ・ミュラーション。 |
第一次世界大戦・撃墜王の真実 |
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実は『レッド・バロン』と聞いて最初に思い浮かんだのは中古バイク屋さんでしたが、本作は文字通り自ら搭乗する戦闘機を“赤く”塗ったドイツ帝国の“男爵”、マンフレッド・フォン・リヒトホーフェンの物語です。舞台となっているのが第一次世界大戦と言うのが最近では珍しいですが、搭乗する戦闘機が普通に複葉機だったり、ドイツ軍の軍服のデザインが古かったりと、時代を感じさせる要素は逆に新鮮に感じました。オープニングでは仲間と共に連合国側のパイロットの葬儀に飛来し、棺の上にピンポイントでリースを落としたり、豪快な空中戦で敵機を撃墜したりと、現代のコンピュータ制御の操縦よりも職人的な、いかにも“腕”がモノを言う世界が良く伝わってきます。当時の複葉機は当然ながらパイロットの顔はむき出し、ボディは木製でパラシュートなど装備していません。
要するに飛行機=道具という感覚が強かったように見えます。しかも近代の空中戦では大抵は被弾して機体ごと大爆発というパターンが多いですが、この時代だとパイロットの遺体に機銃弾の弾痕がみられたりと、言ってみれば地上で騎士同士が闘うのを、そのまま大空で闘うことに置き換えているように見えました。それはリヒトホーフェンのいう「敵を殺すことと敵機を撃墜することは違う」ということに通じています。ある日、奇襲を仕掛けてきた連合国のカナダ人パイロット、ロイ・ブラウン大尉(ジョセフ・ファインズ)を撃墜したリヒトホーフェンは大尉を救助します。この件をきっかけにして従軍看護師ケイト(レナ・ヘディ)と知り合い惹かれあってゆくのだけれど、これは史実では最終的にリヒトホーフェンを撃墜した説すらあるブラウン大尉を上手く利用した演出でした。
ちなみにブラウン大尉はこの後物語り中盤とラストの重要なポイントで登場してきますが、出演時間は短くても効果的な登場のさせかただと思います。さて、この頃からリヒトホーフェンのパイロットとしての名声はどんどん高まってゆくのですが、軍の上層部はドイツ軍の士気向上のために彼を“英雄”として扱うことにするのでした。無論彼にとってもそれは望むところ。かくしてリヒトホーフェンは第11戦闘機中隊の指揮官になり、自らの飛行機を真赤に塗ることで“レッド・バロン”と恐れられるようになります。“レッド・バロン”をリーダーとする凄腕パイロットたちは見るからに頼もしくかっこいい。それぞれの機体をそれぞれ好みの色に塗り、イラストを書き入れたりと愛機のドレスアップに余念がありません。ただ誰がどの機に乗っているのか全部は把握できませんでした…。
戦況が悪化するにつれ圧倒的な戦力差が生じ、さすがのレッド・バロン部隊も腕だけではどうしようもなく、少しづつ戦死してゆきます。そしてついにはリヒトホーフェンまでもが重傷を負うことに。彼は空中戦をスポーツだと言い切って、正々堂々と戦うことに楽しさや喜びまで見出していましたが、仲間の死や自分の負傷、さらに歩兵たちの惨状をみるにつけ、徐々に戦争の怖さ・虚しさを実感していきます。要するに彼は所詮貴族の御曹司だったということ…。時折挿入される実家に帰省したシーンでは、今や国家的な英雄になった彼と、相変わらず豪奢な生活を送る家族との間の微妙な空気感の違いを上手く表現していました。この後、国民の英雄が万が一にも空中戦で死ぬことなど無いように、軍上層部はあえて彼を地上勤務へと異動させます。
ここら辺りから軍・リヒトホーフェン・ケイトの三者三様の思惑の交錯が絶妙でした。飛べない苦しみを味わうも、代わりにケイトとの愛を育む時間と環境ができたリヒトホーフェン。そして彼が空中戦を楽しむ気持ちが理解できないケイトにとっても、彼の無事が担保されるこの異動は2重の意味で歓迎だったりします。軍は軍で彼の安全の確保だけでなく、彼を最前線の激戦地におもむかせ、不死身の英雄がやってきたと兵士を鼓舞して死地に赴かせる…。確かに自分で人を殺さなくなったけれど、むしろ敵だけでなく味方まで、それも結果的に空中戦とは比較にならない人数を殺すことに加担している、リヒトホーフェンの苦悩はそのまま戦争の真実です。結局上官と対立し、パイロットに戻ることになりますが、ケイトは彼の苦悩を理解しているだけにこれまた苦しい胸の内。
愛する人が生きることを優先するとより多くの人間が死ぬことになり、それは彼女たち庶民に他ならない。個人への愛と人間への愛の板ばさみとでも言うのでしょうか。もはやドイツ帝国の敗戦は必至の状況で、制空権など無きに等しい中で出撃してゆくレッド・バロン。優しい眼差しでケイトを見つめる瞳は、別れの挨拶に他なりませんでした。割と面白い作品でしたが東京ですら単館上映でそれも2週間限定。やはり地味なドイツ映画だから?
個人的おススメ度3.5
今日の一言:は赤い彗星はレッド・バロンだよね
総合評価:71点
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