シンパシー・フォー・デリシャス
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| シンパシー・フォー・クリストファー |
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オーランド・ブルームが今度はハードロッカーに変身?!ってな話を小耳に挟んで観に行ったのだけれど違った…。最初に書きますがオーリーは主人公ではありません。それどころか出番もかなり少ない脇役です。ですからオーリーのロッカー姿を期待していくと多分ガッカリします。更に言うとこれは音楽映画ではありません。ロックミュージックを期待してゆくとこれまた肩透かしを食らうでしょう。ハッキリ言ってこの作品はファンタジードラマの範疇に入るかも。主人公はかつては伝説のDJ“デリシャスD”と呼ばれるも、今は事故で車椅子生活を余儀なくされているディーン(クリストファー・ソーントン)。タイトルのデリシャスはそこから来ていたんですね。ちなみにクリストファー・ソーントンは実際に事故で下半身がマヒしているのだそうです。

車椅子の車上生活を送っていたディーンはボランティアで炊き出しをしている神父ジョー(マーク・ラファロ)と出会い何とか今の状況を抜け出そうと日々もがくような生活を送っていました。ところがある日彼は人を癒す能力を手に入れます。一応それらしき描写はあるものの、別に神様が降りてきてどうのといったようなモノではありません。手をかざすだけで病気や怪我が治る、正に神の御業なのですが、この能力は自分には効かないのでした。その力を知ったジョーは、スラム街の弱者の為にその力を行かすように彼を説得します。しかし元々はロッカーであり、むしろ神など信じていないディーン、素直にジョーの言うことに従うようなタマじゃない。それでも日に48ドル(モーテル代39ドルとガソリン代他込み)を受け取ることで癒しの力を振るい続けるのでした。

ここで感じるのはジョーが一体どういう人物なのかということ。炊き出しをしたり、スラム街の住人に親身になったりする姿をみれば、もちろん弱者に献身的な宗教人だということは解るのです。しかしある裕福な男の娘をディーンに治させる代わりに、25万ドルもの寄付を受け取る約束をしたり、司教に向かって献金が増えたことを喜んだりする一面を見ているとどうもきな臭さを感じるのでした。実は寄付は弱者救済の施設を作るためのものだったのですが、そうだとしてもそれはジョーの私欲に他ならず、観ている私がそう感じる位なのですから当の本人であるディーンにしてみれば自分の力を利用して金儲けを企んだと受け取っても無理はありません。結局ディーンは無償の癒しを拒絶、とあるロックバンドに加わり、治癒を希望するものはライブに来いと宣言するのでした。

っとまあ、ようやっとここでバンドシーン。オーリーファンの皆さんはここまで結構待たされると思います(笑)ただディーンのバンド加入もこれまた結構微妙なんですね。DJの腕だけではなく、途中の余興として癒しの力を見せるパフォーマンスをすることになるのだけれど、バンドが売れれば売れるほど、音楽性で売れているのかパフォーマンスで売れているのかの境目が曖昧になってゆくのです。しかもここがポイントなのだけれど、ディーンの力は100%ではないのでした。大体75%程度。中には治らない人もいるワケです。しかしそれではパフォーマンスにならない。そこでバンドのマネージャー、ニーナ・ホーグ(ローラ・リニー)はサクラをディーンには内緒でサクラを用意するのでした。いずれにしろ私利私欲の為に使ったせいか、徐々にディーンは力を失ってゆきます。

転機はバンドメンバーのアリエル(ジュリエット・ルイス)が薬物中毒でステージで倒れた時に、彼女を治せず死なせてしまった時でした。そもそも癒しの力などないのに彼女をその力で治そうとした、つまりディーンは殺人の罪に問われます。バンドが売れたのがディーンのパフォーマンスのせいだということを内心解っているステイン(オーランド・ブルーム)は裁判で彼の力を否定、彼の力の存在を証明できるのはただ1人、神父のジョーだけになります。が、久々に逢った2人は大喧嘩。結局ジョーにしてもディーンに対する負い目がなかったのかと言えばそうじゃない。人は自分が正しいことをしていると思えば思うほど他人に対してそれを強要したくなるものです。恐らくどうしてディーンのようなロクデナシに神の御業が宿ってしまったのか、ジョーは悔しくて仕方なかったはずです。

ここで気付いたのがタイトル『シンパシー・フォー・デリシャス』。ディーンは自分の力などどうでも良かった、ただ救いが欲しかっただけなんですね。彼の気持ちにシンパシーを感じて上げられる人間が誰もいなかったことが悲劇の始まりだったのだと思うのです。ジョーは言います「私は君の力を支配しようとした」と。ディーンを含めた誰もが力を私利私欲のためにしか使わなかった。恐らく金は稼げてもディーンの苦悩は深まるばかりだったのだと思うのです。現に刑務所に入った彼の表情は何か吹っ切れていました。クリストファー・ソーントンは先に書いたとおり脚が不自由です。俳優としては限られた小さな役しかなく生計を立てていくことに苦労していたとも語っています。そして本作の脚本を書き、親友マーク・ラファロはそれに惚れ込んだ。
つまりクリストファーはマークに救われたに違いなく、正に本作は『シンパシー・フォー・クリストファー』なのです。ラストの明るい表情をしたディーンは今のクリストファー本人なのだと思います。
個人的おススメ度
3.5
今日の一言:オーリーを前面に出しすぎだよ…
総合評価:73点
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