アトムの足音が聞こえる
神様・手塚治虫とケンカした音響職人 |
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本作はあの『鉄腕アトム』の音響デザイナー・大野松雄の実像に迫ったドキュメンタリーフィルムです。当ブログでは音の重要性は何度か書いていますが、私はテレビドラマでも映画でもニュース映像でも、映像作品においての音の重要性というのは、時として映像そのものを凌ぐことすらあると思っています。音に気を配れないのならその人は作らない方が良いとすら思うほど。本作を観ると、いわゆる監督の演出に勝るとも劣らないぐらい音の演出と言うのが重要であるというのがよく解ります。ただ、とても映像の作り手側に寄った内容なので、こういった映像制作の世界に携わっている人間にとっては引きこまれる内容だと思いますが、そうでない人には余り興味が持てない可能性も否定できません。
実際劇場内で上映前の話し声を聞くともなく聞いていると、そういった業界の方々が多数いらっしゃったようでした。さて、中盤ぐらいまでは大野松雄とゆかりがあった人たちがそもそも大野松雄とはどんな人だったのかを語ります。これがまあ日本の音響効果の世界を作り上げてきたレジェンドたちという感じで、彼らの業績を見ているだけでも頭が下がる想いでした。話を聞いていると、大野松雄という人は相当にエキセントリックな人らしい。そもそも本人は「音響効果」と呼ばれることを嫌っていたそうで、それは当時の映像作品の製作体制の中では「音響効果」は「録音部」の下の地位だったこととも関係がありました。彼は『鉄腕アトム』の中で初めて“音響構成”とクレジットされます。
そのおかげで、後の音響効果マンたちの地位が向上したそうですが、それにしても大野氏の残した業績が評価されなければあり得なかったワケです。彼の作った『鉄腕アトム』のピョコッピョコッという足音や、空を飛ぶジェット音、はたまた宇宙空間の音や、爆発音はこの場で書いていても思い浮かばないと思いますが、聞けば「あぁ、これか!」と誰でも解るはず。この後登場したご本人自らの口で語られますが、アトムの音を担当するに当たっては、手塚治虫本人ともやりあったと言うのですから、そのツワモノぶりが覗えます。曰く「あなたは印刷媒体の人としては尊敬するけど、映画の音に関しては私がプロだ」と。面白かったのは、アトムに携わったことだけを特別な仕事だとは思っていないこと。
むしろ彼の言葉からは、仕方なくやることになってしまったようにすら聞こえます。実際問題、大野氏が直接手がけたアニメは『鉄腕アトム』だけなのですが、彼を慕う者、彼をリスペクトする音効マンたちによって、数々の素晴らしいアニメが生み出されたのでした。例えば本作に登場する柏原満氏の『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲の音や、『サザエさん』の生活音(襖の開く音とか)などは余りにも有名ですね。「プロとは、いつでもアマチュアに戻れること。そして、どんなに手を抜いても、相手を騙せること」これは作中大野氏が何度か口にするポリシーなのですが、裏を返せば彼は自分の仕事に強烈な自負を持っていて、その自信があるからこそ常に面白いことを探し遊べるのでしょう。
話が前後しますが、中盤までの流れでは、大野松雄は『鉄腕アトム』以降表舞台から姿を消していき、インタビューに答える面々も「こうでした。ああでした。」とまるで故人のような話の展開になって行きます。これは本人曰く「亡命」、端的に言うと夜逃げしたから(笑)一応作中では、滋賀にある「もみじ・あざみ寮」という養護施設の記録ドキュメンタリーフィルムを作っていたことになっていますが、本人はインタビュー内で東京にいた時から通っていたのだと。いずれにしろこの辺が大野しらしいところで、『鉄腕アトム』であろうと名も知れぬドキュメンタリーフィルムであろうと、彼にとってはそれが楽しければやるし、そうでなければやらないだけなのです。
本作上映のあと、プロデューサーの坂本氏と大野氏のトークショーがありましたが、既にこの作品が完成するまでに、作中に登場した2名の方がお亡くなりになったんだそうです。そう考えると、この作品は大野氏ご自身の足跡とあわせることで、日本の音響効果の潮流を辿る貴重なドキュメンタリーでもあるのです。80歳を越えてなおライブを開催したり、新作アルバムを発売したりと常に挑戦する姿を見ると、自分は果たしてどれだけ楽しみながらプロとしての誇りを持って仕事に臨んでいるのかと自省したのでした。
個人的おススメ度4.0
今日の一言:映像の作り手の人は必見!
総合評価:75点
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