愛しきソナ
在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督が「ディア・ピョンヤン」に続いて自らの家族を記録したドキュメンタリーフィルム。姪のソナの成長を中心に、変わりゆくピョンヤンと家族を描き出している。暖かい愛あふれる家庭の中で、監督自らの価値観と両親の価値観の違いなどに目を背けず記録した貴重な記録だ。 |
価値観と家族の絆 |
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一言で言うならヤン・ヨンヒ監督を尊敬します。1人の人間として自分の家族の置かれた状況をここまで赤裸々に映像としてみせることなど普通は出来るものじゃないです。終盤近くで監督の父上が脳梗塞に倒れ体の自由を奪われたような状態でも撮影し続ける姿、もちろんそれはお父上の許可もあったのでしょうけども、その姿にはドキュメンタリー作家としてトコトン現実を描ききる心の強さを感じ、作り手の端くれとしては自分にそこまでの覚悟があるのかと恥じ入る気持ちになりました。実は上映開始から暫くの間はあまり愉快な気持ちではありませんでした。それは序盤に監督の家族構成と状況説明がされるのですが、その中で監督のご両親が北朝鮮に心酔している様子が紹介されたから。当然そこに到るまでは様々な事情はあったのでしょうが、韓国生まれでありながら北朝鮮国籍を取得するその考え方が理解できない。
元々私は、本作の鑑賞を迷っていました。例えば私は朝鮮人学校の授業料無償化だとか、外国人参政権取得だとか、そのどちらも絶対に反対なのですが、在日コリアンの方々全般は当然逆でしょう。無論ご両親や監督もそれはおかしいと言われるハズ。つまり根本的に相容れない人間の語ることを聞き続けるのは苦痛だと思ったから。ただ自分でも驚いたのは、ソナちゃんの愛らしい笑顔を観た時でした。そうした負の感情はサラリと消え、何が違ってもこの子の未来が幸せであって欲しいと素直に思えたのです。同時に彼女は当然ながら今現在きっと幸せに違いないと思えたのでした。ふと思い出したのは『クロッシング』という脱北者の父と息子を描いた傑作。あれを観て感じたことの一つは、我々の価値観からすれば決して恵まれているとは言い難い北朝鮮であっても、そこには家族の小さな幸せがしっかり存在していたということでした。
ソナちゃんが登場するシークエンスでは、監督とご両親が北朝鮮に移住した息子さんのところを訪れた時の様子をカメラは映し出していましたが、そこからはこの作品が単なる映画を越えた貴重なフィルム資料であることが解ります。ピョンヤンの様子や人々の様子、過去に私はここまでピョンヤンの映像を観たことがありません。幾ら監督が在日コリアンとは言えよくここまで撮影が許されたものだと思います。もっとも作品後半で監督自らが語っていますが、前作を発表してからは北朝鮮に入国禁止になってしまい、結局ソナちゃんや兄弟と会うことが出来なくなってしまったそうですが…。監督の前で将軍様の詩を高らかに朗読するソナちゃん。本人は到って大真面目ですが、なるほどこんな幼少期から洗脳教育を施していて、しかも親もそれをおかしいと感じないという北朝鮮の実態を垣間見た思いがして空恐ろしさを感じました。
ただ彼らは仕方ない。実際に北朝鮮で生きている以上、体制の中で生きなければならないのだし。少なくとも彼らは北朝鮮のなかでも富裕層に違いないから、それを維持しようと思ったら反体制的な事など出来ないでしょうし。問題はヨンヒ監督。ここまで監督はそうした様子をカメラで撮影しながら、ただソナちゃんの愛らしさに笑っているのみ。監督の本音はどこにあるのだろう?それが気になって仕方なかったのですが、家族で訪れた観劇のシーンでそれは語られていました。舞台上では年端も行かない少年少女がひたすら国威発揚の猿芝居を繰り広げています。監督はそれに対して一言「私はこれを観るといつも気が滅入る」と語っていました。そこまで監督の価値観が見えなかったぶん、作品の根底にある監督の想いが解りにくかったのですが、そこから先は監督の少なくとも北朝鮮に対する視点は我々と同じだということが解ってホッとしたのでした。
もともとヨンヒ監督は、北朝鮮に心酔する両親との価値観の相違から家を飛び出てアメリカに渡ったのだそう。ただそうだとすると、こういっては失礼ながら実に興味深かったのはヨンヒ監督とご両親の関係。国に対する価値観と家族の絆は別だというのは理屈の上では明白ですが、実際にはどうなのか。露骨に言えば将軍様の言うことと、ヨンヒ監督の言うこととどちらを支持するのか。これに対する答えは作品中にはあまり見えていなかったのが少し残念ではあります。ただ印象的だったのは、大阪の自宅でテレビから流れてくる拉致事件の討論番組を聞き、監督とお父様が話すシーン。お父様は、「一度北朝鮮に返すという約束で日本に帰国させたのに約束を破ったのは日本だ。」と語っていましたが、監督の「逆の立場なら約束だからと言って返すか?」という問いには「返さない」と答えておられました。
北朝鮮国籍をもち、将軍様から模範的な在日朝鮮人夫婦だと褒められたお父様ですら、拉致事件は北朝鮮の間違いであったということは認めているということは多少意外。さて、監督の視点が基本的に私と同じだということが解ってからは、映し出される映像そのものが何れも非常に興味深く感じられます。一日4時間(確か…)しか電気が来なくても、工夫して監督の誕生パーティーの支度をする義姉たち。数時間の計画停電で右往左往してしまう日本人とは大違い。家族が皆集まりご馳走で誕生日を祝う、だからこそ一緒の時間や、数少ないイベントに価値があるワケです。彼らからしたら私たちの生活は毎日がパーティーのようなモノかもしれません。以前ならこんな風には考えなかったかもしれませんが、震災を経験した今、生活の様式として必ずしも我々が恵まれていて、彼らが恵まれていないなどとは言えないのではないか…。
更に外貨レストランでの13歳のソナちゃんと監督の絡みは面白いものでした。食べたことのないメニューを選べないでいる彼女に対して監督はこの作品中を通してこの時の1度だけキツ目の口調で話します。「経験することが大事だから注文してみなさい」ソナちゃんは頼んでもし食べられなかったらお金がもったいないと思っていた節がありました。普段我々が享受している自由の一端が食事のメニューという形でそこにはある。監督はきっとソナちゃんにほんの僅かでも自由を味あわせてあげたかったのじゃないでしょうか。自分が日本やアメリカで享受してきた自由を。なんだか監督の優しさ思いやり、哀しい愛情が伝わってくるようで胸がつまりました…。今現在ソナちゃんは大学生になったそうですが、外の世界を知らないままに育った彼女が、いつか大好きなおばちゃんに再会し、今度は大人の女性同士として相対できる日が早く来るように祈るのみです。
個人的おススメ度4.0
今日の一言:ソナちゃんどうしてるかな…
総合評価:80点
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