恐怖新聞
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心理サスペンスじゃなく心霊サスペンスなのに… |
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つのだじろうの「恐怖新聞」といえば私の世代では「うしろの百太郎」と並んでホラー漫画の名作。それが映画化されるということで、久しぶりに池袋まで遠征鑑賞です。劇場につくと、なんだか若い女性が一杯、しかもお母さんに頼んで連れてきてもらった様子の少女までいる。何故かと思ったら、どうやら主演の真司郎(AAA)と共演の相馬圭祐という若手イケメン俳優狙いらしい…。すいません、どちらもおじさん的には聞いたこともありませんでした。さて、主人公・鬼形(真司郎)は深夜1時59分45秒になると強烈な頭痛に見舞われ、2時ジャストに恐怖新聞がアパートの郵便受けに届きます。これが1日読めば1年分の寿命が奪われるらしい。


……多すぎ。原作では1日読むと100日でした。もっともそんなことは序の口だったことが後々明らかになります。ところでこの作品、結論から言うとあまり面白くなかったのですが、それは複数の要素が存在する割りに、そのうちの1つを除いて残り全てを放置したまま終わってしまっているから。その1つとは鬼形が密かに好意を抱いている大学の同級生・雨宮しずく(近野成美)にかけられた呪いを解く話。鬼形は最初に恐怖新聞が届くことで、雨宮に呪いの人形が届くことを知ります。何度捨てても戻ってきてしまう不気味な洋人形、そして雨宮の背後には貞子ばりの長い髪の毛で顔を隠した女性の霊が…。実は恐怖新聞の原作ではこの新聞を配達しているのはポルターガイストと言われる霊。


これがまた超強力な霊という設定なので、他の霊が鬼形に危害を加えようとすると「こいつの命はオレのものだ」とばかりに助けてくれるというのが面白い点の一つだったりします。ところが本作ではそのポルターガイストに代わって、恐怖新聞を配達しているのは少年時代に鬼形の目の前で怪死した親友に変更されています。それならばこの親友の霊が鬼形とどう関わってくるのか、或いは雨宮に憑いている女性の霊とどう絡んでくるのかと思って観ていたのですが…。物語はそうした霊的な要素を一切排除した形の結末が用意されていました。即ち何度捨てても人形が戻ってくるのは、鬼形と共に雨宮を助けようとしていた同級生の永森隆太(相馬圭祐)が自ら捨てて自ら拾うという自作自演をしていたから。


実は永森にも恐怖新聞が届いていて、呪いの人形を雨宮から引き離したら自分が死ぬという警告を受けていたのです。結局人形は鬼形によって、永森の知らない場所にすてられ、雨宮の呪いは解けることに。推理サスペンスならこの結末もありですが「恐怖新聞」はあくまでも心霊サスペンス。結末に心霊現象や霊そのものがダイレクトに関わってこないならわざわざ登場させた意味がありません。せっかく出て来た鬼形の親友の恐怖新聞配達人も恨みの篭ったセリフを鬼形に吐くものの、だからどうと言う話の広がりもなく終わってしまう…。女性の霊もタダそこに立っているだけで、別に何かする訳でもない…。特にこの女性の霊はゾクッとする気持ち悪さがあっただけに活かさない手はないと思うのですが。


更に言ってしまうと、物語に絡んでくる喫茶店の店長・高清水学(宮川一朗太)は、何故か随所随所で的確なフォローを入れ、ラストでは謎の存在だったことが明かされることになるのですが、そこら辺の掘り下げももうチョットしてくれると、物語の進行の中での怪しげな怖さが増したと思います。そして1番残念なのが恐怖新聞そのものが、単に他の心霊事件を解決するためのツールになってしまっていること。確かに“新聞”なだけに情報を得るツールとしての一面はあるのですが、タイトルが「恐怖新聞」というのは、あくまでもそれが軸であり主体であるから。新聞でありながら鬼形とならんで一方の主人公でなくてはならないはず。単に怪しい謎の新聞というだけでは本当の意味での「恐怖新聞」ではないのです。
個人的おススメ度2.0
今日の一言:人形自体の見せ方も工夫が欲しかった
総合評価:44点
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