いのちの子ども/Precious Life
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人間の良心は全てを超越する |
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第二次世界大戦のホロコーストに端を発しユダヤ人が現在の地域にイスラエルを建国、しかしその地に住んでいたパレスチナ人の土地を無理矢理奪うその行為が今現在のイスラエル問題の大本になっている…という極々基本知識を映画本編の前にAFP通信社の山路徹氏が解説してくれる。正直言ってそこまで問題の大本に遡る意味があるのか疑問を抱いたのだが、観てゆくうちに納得できた。それは本作を観る上で特にパレスチナ人のアイデンティティに深く触れられているからだ。日本人からしたら2000年前に祖国を追われ流浪の民になったユダヤ人と、イスラエルに土地を追われたパレスチナ人は殆ど世界史レベルの話かもしれないが、彼らにとってこれは今そこにある現実なのである。


本作はガザ地区に住む生後4ヶ月の赤ん坊が骨髄移植が必要な重い病に罹り、イスラエル人医師ソメフが懸命にその治療にあたる様子を映し出したドキュメンタリーフィルムだ。イスラエル人のテレビジャーナリスト、シュロミー・エルダールが、彼らに密着し、時として彼らの輪の中に入り込むようにして撮影されている。言葉で書くと簡単だが、イスラム原理主義組織ハマスがガザ地区を武力制圧していることで、現在イスラエルは彼の地を封鎖しており、原則的にガザ地区に住むパレスチナ人は閉じ込められた状態になっている。そんな状況下で母親ラーイダと赤ん坊のムハンマドは恐らく人道的な見地からイスラエル側への滞在が許されているのだろう。


最も気になるムハンマドの治療に関しては、治療費5万5千ドルを寄付してくれたイスラエル人の篤志家のおかげで無事に骨髄移植手術を受け成功する。もっとも親戚まで含めた家族の血液検査をするという、いくつかの厳しいハードルを越えなければならなかったのだけれど。しかしこの作品の肝は治療そのものよりも、パレスチナ人でありながらイスラエル人のお金でイスラエル人の治療を受けることになったラーイダの微妙な立場を赤裸々に描き出していることだと思う。その最たるシーンがあった。彼女がエルダールとの対話の中で聖地エルサレムに対する決して譲れない想いを語るのは当然だが、彼女はムハンマドを含め「命は尊くなんかない」と言い放つのだ。


それだけではない。必死の治療で一命を取り留めたムハンマドが「殉教者になることもいとわない」と言う。このシーン、実は理由があるのだけれどその時には監督含め見ている我々もそこには想いが到らないだろう。映像を通じて伝わってくるエルダール監督の怒り、私とて命に対する価値観は信仰を越えると信じていただけに同じ怒り、そして現実の厳しさに打ちのめされる想いで一杯だったのだ。しかしここで私たちは重要なことを忘れていた。ラーイダたちはいずれはガザ地区に帰り、パレスチナ人コミュニティの中で生きてゆかねばならないのである。それでなくても裏切り者呼ばわりされている彼女が、テレビで放送される映像に対して全面的にイスラエル寄りの発言など出来る訳がないのだ…。


「命が尊くない」わけがない。増して愛する我子の命ならなおさらだ。彼女がパレスチナ人コミュニティと、信仰と、彼女自身のアイデンティティと現実の狭間で悩み苦しみ葛藤していたことに気付いた時、パレスチナ人であろうがイスラエル人であろうが同じ人間なのだという至極当然の事が改めて突きつけられる。エルダール監督はテレビジャーナリストだけに、音楽の使い方や演出の方法がドキュメンタリーと言うには若干ドラマチックに振られている。しかし、敢えて言うならば本作はドキュメンタリーでありながら人間ドラマなのだと思う。今そこで現実に苦しみ悩む人間の心の内に迫る真実のドラマなのだ。厳しい現実は確かにある。しかし希望の芽も確かにある。あとは我々も含めて、それをどう育てるかだ。
個人的おススメ度4.0
今日の一言:戦争が日常という一面に触れた感じ
総合評価:81点
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