アメリ/Le fabuleux destin d'Amélie Poulain
独特の世界観でも揺れる乙女心は普遍です |
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ジャン=ピエール・ジュネ監督の独特の映像センスや風変りさは残しつつも、ある種の強烈な毒は鳴りを潜めている作品。代わりと言っては何だが、大きないたずらっぽい目がとてもキュートなオドレイ・トトゥの魅力がスクリーンいっぱいにあふれ出ていた。本作はまずは最初に彼女が演じる主人公アメリが育ってきた環境や人物的な背景描かれている。すべてはここから始まったというワケだ。その後に長じた彼女が孤独な中に自分なりの楽しみを見出す姿が描かれ、更にその楽しみがもたらした彼女の一風変わったラブストーリーが展開されるという構成である。ユニークなのは空想好きなアメリという少女の出発点となったのは、彼女の父親に対する愛だったということ。


幼い頃、元軍医の父親はアメリと接する機会は彼女の健康診断の時だけで、彼女は唯一父親と触れ合えるその機会をとても楽しみにしていた。ところが嬉しすぎて心臓が高鳴り、結果として父親は彼女を心臓病だと診断してしまう。なんだそりゃ(笑)おかげで彼女は学校にも行けず、周囲の子供たちと交流を持つこともなく孤独な生活を送ることになるのだが、おかげで空想力だけはグングン発達したのだった。この空想シーンがまた可笑しい。例えばあるその瞬間にパリで何組のカップルがセックスしていて絶頂に達したのかなどというトンでる映像まで見せてくれるのである。アメリの空想力の源泉であるジュネ監督と脚本のギョーム・ローランの頭の中は一体どうなっているのだろうか。


ある日偶然アパートで発見した40年前の住人の化粧箱、中身はどうやら子供の頃の宝物らしい。アメリは持ち主を見つけてそれを返す。相手はとても喜ぶのだが、逆に彼女自身も他人のために何かをする喜びを発見するのだ。もっともここでも面白いのが、その人のためにすることは必ずしも他の誰かにとっての喜びと直結しないこと。もっと言えば、対象となる人を喜ばせるためだけにやるのではなく、自分が喜ぶためにもやるのだから、ザックリ言えばこれはイタズラの範疇にはいるのかもしれない。大昔に夫に逃げられた夫人のために手紙を偽造したり、父親の家の庭のドワーフ人形を旅行に行く友人に託して、世界中のあちこちから写真だけ送らせたり…。


更にいつも店主に苛められている八百屋の店員のために、店主の家に忍び込んで数々のイタズラをしかけたりもする。もっとも彼がそれにハマる姿を見て楽しむ時、我々はアメリと同じ目線でちょっとした満足感を覚えるのだが。ただ悲しいかな、彼女を中心に多彩なイタズラの様子が描かれ、周囲の人々が困惑したり喜んだりする姿が映し出されるものの、よくよく見ると彼女自身は常に孤独なのだ。ただ傍から見ればそうだが、そもそもこっそりやっていることなのだから、当たり前と言えば当たり前。しかも彼女自身も一人ほくそ笑んでいて、対象に人が自分に関わらなくとも気にしている様子はないのだからそれはそれで上手く行っていたということだろう。


ところがある日彼女に変化が訪れる。捨てられたスピード写真を集めるのが趣味であるニノとの出会いだ。この後は、不器用なアメリが一生懸命自分に関心を持ってもらい、彼とお近づきになりたいと努力する姿が描かれる。コミュニケーションが苦手なアメリの“ニノに近づきたい作戦”がこれがユニークでありまたけなげで、観ている我々は心から彼女を応援してしまうのだ。今にも彼と出会える!っという瞬間になると、臆してしまう彼女を見るたびに「あぁ…」とため息をつくこと数度。更に今度こそは上手く行くだろうと思う時に限って、絶好のタイミングで邪魔が入る。ジュネ監督は彼ならではのテイストでアメリのラブストーリーを構築しているが、揺れる乙女心の本質はキッチリ押さえていた。


さて、そんな煮え切らない彼女の背中を押したのはとある人物だ。彼はアメリのアパートの住人であり、彼女がイタズラをしたり恋に悩んだりする姿をずっと観察していた。客観的に観たらちょっと怪しい、というよりストーカーチックなのだが、逆に言えば彼女のことを彼女以上に知る唯一の人物なのかもしれない。遠回りしながらも彼女の恋が成就した時、まるで我々は彼女の保護者かのようにホッとするだろう「良かったねぇアメリ。」と。独特の世界観の中で繰り広げられるコミカルでちょっとジンとくる、キュートな女の子の物語にすっかり魅了されてしまった。これはもちろんドミニク・ピノン始め、ジュネ組ともいえる俳優たちの存在感のおかげであることも忘れてはいけないだろう。
個人的おススメ度4.0
今日の一言:オドレイが本当に素敵でキュートだよね
総合評価:83点
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