朱花(はねづ)の月
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| 本物の息遣いを感じる映像に魅入られる |
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『殯の森』の“もがり”に続いてまたしても普通では読めないであろう昔の言葉をタイトルに持ってきた河瀨監督。「朱花」と書いて“はねづ”ど読む。これは万葉集に登場する朱色の花でその色から血や太陽や炎を連想させる貴重な色だそうで、本作ではその要素全てが登場する。それにしても驚かされるのがその映像の美しさだ。冒頭で山のシルエットの上に浮かぶ満月が、まるで観察映像の如くゆっくりと昇ってゆく様子が映し出される。万葉の世の人々も今我々が観ているのと同じ月を見ていたのだと思うと、なにやら時空を超えた共感を感じざるを得ない。もちろんそれだけではなく、川のせせらぎや沈み行く太陽、緑が眩しい森、広がる田園風景といった全てがあるがままに息づいていた。

そんな奥明日香の集落・栢森(かやのもり)に暮らす木工作家の拓未(こみずとうた)が同級生の加夜子(大島葉子)と出会い惹かれ合う。しかし加夜子には既に地元のPR紙の編集者をしている恋人・哲也(明川哲也)がいた。1人の女性を2人の男が求め合うという展開ではあるが、そこは安っぽい恋愛三角関係ではない。拓未と加夜子の間にはお互いの祖父母の代からの因縁が存在しているのである。映像の美しさにも驚かされたのだが、この3人の演技と言うには余りに自然なそれには更に驚かされた。栢森のお年寄りたちと拓未たちが寄り合いで話すシーンなどは、殆どドキュメンタリーかと見紛う程だ。3人の間に交わされる会話も、それが全編アドリブだと言われても納得してしまいそうだ。

実はこずみとうたと大島葉子は撮影に入る2ヶ月前からこの飛鳥の地で実際に生活し、地元の人間になりきってキャラクターを作り上げたのだという。河瀬監督はそうして作り上げたキャラクターを自分が指導して変更することは不可能だと語っているが、言うなれば実際にその環境で生活をさせること自体が演出だといえる。自然との共存をモットーとする監督の作品だけあって、本作のキャラクターたちも大きな意味での自然の一部として生きている。そしてもちろんここで言う監督の“自然”には日々の人間の営みも含まれている筈だ。だからこそ彼らの生活はドラマでありながらも恐ろしいほどの現実や生活感を感じるのである。その3人から感じるお互いの距離感がまた絶妙だった。

加夜子のことを心から愛している哲也は、彼女の様子の変化を知りながらも彼女に一生懸命尽くす。しかしそれに対する加夜子の反応はどこか醒めている。拓未と逢っている時の活き活きとした笑顔を見れば、既に哲也に心はないのが明らかなのだがしかしそれは嫌いと言う意味ではない。中々言葉ではこの微妙な心情を伝えきれないのがもどかしいのだが、しかしその微妙な心情はドラマではなく我々の実生活のそれと全く同じに見える。象徴的だったのは哲也が飼うインコと拓未の家の蛍光灯に巣を作ったツバメだ。加夜子は自らを籠の鳥に例え、自由なツバメのつがいに憧れていた。もっとも客観的に見ると、そこまで籠の鳥には見えない…どころか自由に見えなくもなかったのだが…。

ちなみにこのツバメ、実際に拓未が住む家を改築している最中に住み着いてしまったそうで、いわゆる小道具として用意したものではないのだそうだ。物語上では加夜子の祖母と拓未の祖父は互いに好き合っていながら結ばれなかったのだが、祖父母に代わってその想いを遂げようとするかのような流れになっている。しかし拓未の子供を彼女が身篭ったことで状況に変化が訪れるのだった。加夜子は独り悩みながら彼が自ら自分を迎えに来てくれること、言い換えれば籠から救い出しに着てくれることを待っていたが、拓未は拓未で自分の中でその事実に折り合いをつけようとしていた。結局彼女は待ちきれず怒りを爆発させてしまうのだが、それは余りに短絡に過ぎるように思えてならない。

悠久の時間を感じさせるこの飛鳥の地。拓未がその中で昔人同様にゆったりとした時間の中で生きて考えていたのに対して、加夜子は子供が出来たとたん現代人に戻ってしまったようにも見える。人間の小ささを飲み込んで尚且つ悠然と存在する自然の大きさに、観ている筆者自身が飲み込まれて、いや包まれていた91分間だった。
個人的おススメ度
4.0
今日の一言:河瀨監督独特のテイストに惹かれます
総合評価:81点
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