カウントダウンZERO
『不都合な果実』の製作陣が今度は冷戦終了後の核兵器の脅威に着目した社会派ドキュメンタリーだ。現在の核兵器が置かれている状況などを多くの人物のインタビューを交えて紹介してゆく。監督は『ブラインドサイト ~小さな登山者たち~』のルーシー・ウォーカー。 |
歴史の生き証人たちが語る真実 |
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久しぶりに核兵器に関して思い出させてくれるという意味で価値ある一本だ。その昔冷戦時代にはあれほど気にしていた核兵器だが、ここ最近ではトンと忘れていたフシはないだろうか。ICBM(大陸間弾道ミサイル)だとかスターウォーズ計画といった、米ソ間の核戦争が現実的だった当時に比べ、現代では国家とテロリストとの戦争という方が現実的に変わってきている。しかしテロリストが核兵器を手にしないというのは夢物語であり、一端手にしたら抑止力としてではなく現実に使用するだろうというのは必然である。オープニングのJ.F.ケネディの演説が実にに象徴的だった。
「我々は細い糸にぶら下がった核の剣の下で生きている。その糸はいつでも“事故”“誤算”“狂気”によって切断され得る。」
本作は、この3つの要素に関して、過去から現在に到るまで核兵器が置かれていた、或いは置かれている状況を、数多くのインタビューと歴史的な映像によって説明してくれる。実は正直なところ、映像そのものは過去にどこかで見たような映像が多かった。核実験のモノクロ映像や、潜水艦やミサイルサイトからミサイルが発射される映像、ケネディやカーターの演説する映像など、筆者より年上の方々ならリアルタイムで見たことがあるはずだ。反面インタビュー内容は「そんなことがあったのか!」と驚かされる内容が多かった。例えば核爆弾を積んだ戦闘機が空中分解し爆弾を落下させたけれど、6つある安全装置のうちたった1つだけが正常に機能して爆発せずに済んだ話。
或いはアメリカがオーロラ調査のロケットを打ち上げた時、連絡不行き届きでソ連がミサイル攻撃だと誤解するも、エリツィンの判断で辛うじて核戦争が防がれたという話。要するに人間がやることに完璧はありえないという当然のことだ。耳に痛かったのがとある物理学者が紹介したフェルミという物理学者の言葉で、それは「不可能でないことは、必然であり、必ず起きる」というもの。今回の東日本大震災の福島第一原発にしても、地震によるダメージを防ぐこと、そして津波を完全に防ぐことが不可能な以上、事故は起こるべくして起きたということだ。つまり100%の予防が不可能ならば、事故を防止するには“持たない”という選択肢しかない。もちろんこれが極論なのは解っている。
筆者は今すぐ核兵器廃絶だとか、原発廃絶という夢想論には組さない。しかし、知恵を出して極論と現実をすり合わせて行く努力は忘れてはいけないのは当然だ。ところで時節柄どうしても原発と核兵器をリンクして観てしまいがちなのだが、実は核兵器そのものに対しても日本は無関係ではない。それは世界で唯一の被爆国であるということを抜きにしてもだ。本編でオウム真理教の映像が流れたのには驚かされた。彼らが核兵器をロシアから購入しようとしていたのはニュースでも報道され知っていたが、それこそ私たちは夢物語だと思っていなかっただろうか。少なくともアメリカでは、テロリストの核兵器入手失敗例となっているワケで、核兵器に対する日本国内での受け止め方との差が如実な例だと思う。
買うならまだ足がつく可能性が高い。ロシアでは高濃縮ウランの保管体制がジャガイモの保管体制より低いというのだからもはや何も言うことがない…。他にもまだまだ多くの驚きの事例がインタビューによって明らかになって行く。それらを語るゴルバチョフ元ソ連大統領やカーター元米国大統領、マクナマラ元米国防長官、ベーカー元米国務長官、デクラーク元南ア大統領といった世界を動かしてきた政治家の顔ぶれに懐かしさを覚えつつも、筆者の心に1番響いたのは“原爆の父”ロバート・オッペンハイマーの映像だった。死んだような目で核が地球を滅ぼすかもしれないと語る彼の言葉が今ではとても現実的に感じられるからだ。ケネディの核兵器廃絶への動きは世論から始まったという。
結局国を動かす指導者を選び動かすのは我々であって、それ以上でも以下でもないのだ。逆に言えば核兵器の現状にしても原発の現状にしても、最終的な責任は我々にあると言ってもいいのかもしれない。
個人的おススメ度3.5
今日の一言:テニスボールでマンハッタン消滅か…
総合評価:71点
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