天国からのエール
阿部寛の素朴で人間味溢れる芝居に魅入る |
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予告編の段階で感動するだろうなと予想が付く、いわゆる難病ものにカテゴライズされる作品だ。ただ本作は実話がベースである。沖縄県国頭郡本部町(くにがみぐんもとぶちょう)は名護市の北西に位置する田舎町だ。そこで弁当屋を営んでいた大城陽(阿部寛)は、ある日弁当を買いに来た地元の女子高生・比嘉アヤ(桜庭ななみ)たちがバンドの練習をする場所がないと嘆いていたのを見て、自宅の敷地を使わせることに。ところが、とたんに周囲からはウルサイとのクレームが入る。陽は自らの過去、そしてアヤたちが彼に当てた言葉である決断をするのだった。なんとそれは私財をなげうって音楽スタジオを作り、子どもたちに開放するということ。


物語前半は、スタジオ作りを通じて陽と子供たちが心を通わせて行く姿が鮮やかに描かれている。彼は言う「昔はまわりの大人たちが何かと面倒をみてくれた、いまの若いもんにはない」と。都会に比べれば地域の結びつきが強いであろう沖縄の田舎ですらそういう状態であったのかと驚きつつ、その大人に陽自身がなろうと決意する所が実に気持ちよい。実際陽は、挨拶をキチンとしろだの、学校の勉強で赤点はとるなだの、人の傷みの解る人間になれだのと小うるさいおじさんになる。しかし、本来なら何の得にもならないのに自分たちのためにスタジオまで作ってくれた陽の子どもたちに対する愛情が伝わらないワケがない。次第にかれは“ニイニイ”と呼ばれ慕われるようになって行く。


阿部寛の長身と低い声でしゃべる沖縄方言はどこなくユーモラスであり、大らかな男らしい子どもたちへの愛情が溢れ出るようだった。元々好きな俳優ではあったが、今回の彼は特に人間味という点で文句なしの芝居である。桜庭みなみは女子高生役は『書道ガールズ』以来だが、童顔で可愛らしい彼女にはもとより良く似合っている。今回の彼女はロックバンドのボーカル兼ギターという役所だが、実際にも「bump.y」というアイドルグループの一員だ。アヤたちのバンドは後に“あじさい”を意味する“Hi-drangea(ハイドランジア)”という名前に決まるが、音楽の方向性や彼女の声質、メロディーラインはちょっと「the brilliant green」を思わせるものがあったと思う。


もっとも当然ながらクオリティは遠く及ばない。そもそも桜庭ななみは歌が下手だ(苦笑)それはさておき、毎日のようにスタジオに集まり練習を繰り返すアヤたちはプロを目指したいと口にするようになる。それを聞いた陽は、ならばと本人たちには内緒でできる限りのバックアップを始めるのだった。FMラジオで彼らの曲が流され、瞬く間に人気者へと成長してゆく彼ら、遂にはロックフェスティバルに招待されるまでになる。この辺りはいささか拙速な感じはしないでもないのだが、そもそもバンドの成長物語ではないということだろう。ところがそんなタイミングで陽を病魔が襲う。観る前から解っていたこととはいえ、遂に来るべき時が近づいて来たと言う感じだ。


ただし、コレは後から解るのだが、彼は3年前に腎臓がんの摘出手術を受けていた、だとするならばすぐに状況は飲み込めたはず。即ち自らの命が残り少ないことを。「もうあいつらの夢が俺の夢でもあるんだ!」そういう彼だったが、大嵐の夜にボロボロの体で駆けつけたスタジオには、彼自身の手で真っ直ぐに育てられたアヤたちの姿があった。それはコレまで与えられるだけだった彼らが、夢を掴む為に自らの足で歩き始めた瞬間でもある。人は何かをなすために生まれるというが、この時の全てをやりきったような表情をした陽の顔が忘れられない。数日後彼は家族と子どもたちに見守られ逝く。もちろんこのシーンも哀しい感動の場面なのだが、私はその後のコンサートシーンが好きだ。


桜庭ななみは歌の途中に鳴き声になり声が出ない。陽を思い出しながら、アヤと一体化した彼女がそこにいた。やはり彼女は女優として素晴らしい素質の持ち主だと思う。ベタと言えばベタなお話だけれども実話ベースであり、尚且つ阿部寛の素朴な演技がわざとらしさや嫌らしさを全て排除していた。モデルとなっている仲宗根陽さんの奥さんは、劇中の結婚式シーンで「今までありがとう」というセリフが加わっていたのが心から嬉しかったそうだ。表立ってそんなことは言わない陽さんの気持ちを代弁してくれたかのようだったという。この映画が宝物になったとまで仰っているのだ。監督冥利、役者冥利に尽きるではないか。
個人的おススメ度3.5
今日の一言:ミムラさんの素朴なお母さんぶりも良
総合評価:70点
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