ウォーリアー&ウルフ
井上靖の短編「狼災記」を基にした歴史ドラマだ。秦の時代の中国でとある軍人と呪われた部族・ハラン族の女とのロマンスを描いている。主演は『転々』のオダギリジョー。共演に『ダイ・ハード4.0』のマギー・Q。監督は『呉清源 極みの棋譜』のティエン・チュアンチュアン。 |
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つまらない以前に物語が良く掴めない。井上靖の短編「狼災記」が原作だそうだが、これから鑑賞する方は小説の方を読んでからの方が良いかもしれない。そのぐらい物語の展開がわかりにくいのだ。原作のせいかどうかは解らないが、オダギリジョー扮する主人公・陸沈康のセリフも極端に少ない。しゃべった時の中国語はとても流暢に聞こえるので言葉の問題ではなくそういう作品なのだと言うことが解る。要するにメインはマギー・Q扮するハラン族の未亡人と陸沈康の愛の物語の行く末を描いたものなのだが、本作は2人が出会う前とあとで分けられる。前半は陸沈康が張安良将軍(トゥオ・シェンホア)に目をかけられて成長してゆく姿が描かれていた。
2000年前の秦時代、北方の部族を制圧するための闘いは既に10年以上に渡っている。兵たちは冬になり雪が降ると休戦し故郷に帰り、春から秋にかけてまた戦争をするという繰り返しだった。張将軍は陸の優し過ぎる性格を憂慮して精神的に鍛えるのだが、映像的に必ずしも時系列で描かれている訳でもなく、それに対して何の説明もない。従って原作未読だと頭の中で想像力を働かせながら観ることになる。ゴビ砂漠の北方という設定だが、この荒涼とした大地は中国ならではの風景と言えるだろう。ある戦いで張将軍が敵の捕虜になると、陸は味方の制止を振り切って自軍の捕虜となっていた敵国の王子と交換してしまう。超将軍は大いに嘆くのだが、その嘆きがちょっと興味深かった。
そもそもよほど名の通った将軍ならともかく、一将軍と戦術的に重要な敵国王子との捕虜交換などありえない。しかし張将軍はそのことを嘆くよりも、その捕虜交換の話が都に届いた時の皇帝の怒りに恐怖していた。この辺り秦という国の厳しさが垣間見えると思うのだ。結局重傷を負っていた張将軍は都に帰らされ、陸が代わりに式を取ることになる。ここから先が後半だ。冬になり退却を始めた際に、吹雪を避けるために呪われた民・ハラン族の村で一夜を明かすことにするのだが、陸はその家の床下に一人の未亡人(マギー・Q)を発見する。陸は彼女を無理矢理犯すのだがこの部分の心境は解るような解らないような…。およそそこまで観てきた陸に似つかわしくない行為なのだ。
確かに男は何かをきっかけに一瞬で欲情することもある。それは解るが、最初は敵兵を殺せないぐらいの優しい男だったのだ。張将軍の訓練もだが、長い戦いと苛酷な環境、そしてリーダーの立場が人を大きく変えたのか。それにしてもオダギリジョーとマギー・Qの濡れ場が現実化するとは数年前なら思わなかっただろう。もっとも濡れ場といっても肌が見えるのはオダジョーだけでマギーのほうは僅かなのだけれど。正直言ってここから先はやけにこの2人の濡れ場が多いなと感じるほどそのシーンが連続する。後から考えるとこの時に陸が必ず後ろからのしかかるのが伏線だったことが解るのだった。呪われた民ハラン族の言い伝えでは、異民族の男と七夜契ると狼へになってしまうらしい。
彼女の存在を隠しつつ帰路につく陸だが、行く手には困難が待ち受ける。とんでもない砂嵐シーンは凄い迫力だ。砂嵐が去った後、その砂嵐が遠くに見える光景は、最近よく観る遠くにがゲリラ豪雨の雨が降り注いでいる光景を思わせた。この後、陸はどうやら未亡人の所に戻るのだが、またしても濡れ場…。いつしか未亡人の方も陸を愛しているらしいが、犯された相手を愛する未亡人の心情はよく理解できない印象としてはひたすらヤリまくっているだけなのだ。2人の愛がセックスでしか表現されていないので、この後彼らが狼に変わってしまったらしいという描写に違和感を感じざるを得ない。結局この作品は何が言いたいのだろう?原作未読の私としてはストーリーテリングしてくれる存在が欲しかった。
個人的おススメ度2.0
今日の一言:製作費7億円はどこに使ったのかな
総合評価:47点
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