孔子の教え
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「いやはやとても勉強になりました」という作品だった。「論語」を知らない日本人はいないだろう。「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。」、「己の欲せざるところ、人に施すなかれ。」、「義をみて為ざるは、勇なきなり。」、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」といった誰しも必ず聞いたことがある名言の数々、しかしその背景に関してまで知っている人は少ないのではないか。本作は孔丘(孔子:チョウ・ユンファ)が魯国に取り立てられてから亡くなるまでの半生を描いた伝記物語であると同時に、映像で見る「論語」という一面も持ち合わせている。ただ、如何せん孔子の生きた時代は紀元前500年前後、描かれている内容に関してはいささか眉唾な部分があるのも否めない。
例えば本作では孔丘の師匠は老子となっており、実際老子とのやり取りも描かれているのだが、これなどはその典型例と言えるだろう。孔丘は魯国開祖である周公旦の時代の政治、即ち礼と仁による徳を以って国を治める道を主張した思想家で、後に現代までも続く儒教の系譜の祖となった人物だ。当時の魯国は三桓と呼ばれる3つの家が権力を握っていた。この三桓とは簡単に言うと魯国君主の親戚筋の三家のことだ。物語前半は第26代君主・定公(ヤオ・ルー)に孔子が取り立てられ、順調に出世して行く様子が描かれる。奴隷の殉死を中止するように求めるシーンでは、三桓の一人を「己の欲せざるところ、人に施すなかれ。」で知られる卓越した言論で説得をするなど観ていて非常に小気味が良い。
やがて孔丘のおかげで次第に国力を取り戻す魯国。それを陥れようと斉国はとある策略をめぐらす。世に言う「夾谷の会」だ。これは孔丘の人生の中でも最も華々しい活躍といえるもので、簡単に言えば会議を装って定公と孔丘をおびき出して殺してしまおうとした斉国の策略を見抜き、それを防いだばかりか逆にやりこめて、占領されていた3つの城を奪い返したのである。この辺りの計略は後の三国時代、蜀の軍師・諸葛亮孔明が実行して見せた事でも有名だ。中々にスケール感のある映像は中国映画ならではといっていいだろう。大陸中にその名を知らしめた孔丘は三桓の一人・季孫斯(チェン・ジェンビン)の兼ねていた国相の役を得て国相代理となるのだった。
次々と改革を進めてゆく孔丘。彼にかかれば三桓と言えども特別扱いは一切無い。が、既得権益に手を突っ込めばそれ相応の恨みを買うのは今も昔も変わらない。しかしながら彼は「直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」即ち恨みに対しては誠実さを以って応えるべしと説いている。清濁併せ呑めないこの清廉潔白さ、そして己の理想を実現するための権力を守る行動しないこと、これこそが孔丘が孔子たる所以であり、現代に到るまで尊敬を集める理由だろう。結果的に言うと、斉国の策略にはまった季孫斯により、定公の信頼を失った孔丘は魯国を追放されることになる。ここから彼と彼の弟子たちの十数年に渡る苦難の道が始まるのだった。が、実は映画としてはここからはいま一つだ。
一人黙って旅立とうとする孔丘に顔回(レン・チュアン)や子路、冉伯牛、子貢らいわゆる孔門十哲と呼ばれる有名な弟子たちが付き従う姿には感動するのだけれど、足早に展開される十数年はあまりにダイジェスト過ぎて、一体今どういう状況になっているのかが非常に飲み込みにくい。ただ衛国の霊公夫人・南子(ジョウ・シュン)が孔丘に言った言葉は印象的だ。「先生の苦悩を理解する者はおりましても、その苦悩から体得するものを理解するものはおりません」まさか孔丘の弟子でもない、しかも悪女として名高い南子からこの言葉が出るとは意外だった。この後、孔丘は許されて魯国に戻るも政治には一切関わらず、学問のみを治めて暮らすのだがそこに物語としてのダイナミズムは既に無い。中国史好きの方や、伝記物語好きの方におススメの作品だ。
個人的おススメ度3.0
今日の一言:割と淡々としてるというか…
総合評価:65点
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