クリスマスのその夜に/Hjem til jul
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| 言うなれば“Norge, jeg elsker deg” |
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北欧に流れる独特の空気感と人の心がしっくりと心に馴染む佳作だ。舞台になっているのはノルウェーの小さな町。物語はクリスマス・イヴの夜を迎えたその町に起こったいくつかのエピソードをパラレルに描いている。それぞれの話は小さな接点こそあるものの深く交錯することはないし、聖なる夜だからと言って何か奇蹟が起こるわけでもない。しかし、それ故にとても身近で素朴な物語として感じられるのだった。語られるエピソードは全部で5つ。妻に家を追い出された夫パウル(トロンド・ファウサ・アウルヴォーグ)は子供たちにクリスマスプレゼントを渡したい一心で、ある計画を思いつく。細かいことは語られないが、要は妻は新しい男ができたらしい。
その男が納屋でサンタクロースに扮しようとする所を襲って眠らせ自分が成りすますという寸法だ。このエピソードの肝は、子供たちと父親の関係だ。パパからのプレゼントに大喜びする子ども達の姿からは、夫婦の関係とは別の暖かさが伝わってくる。子供たちにとってはどんなパパでもパパなのだ。そのパウルが妻の浮気に関して愚痴をこぼしたのが友人で医者のクヌート(フリチョフ・ソーハイム)。個人的にはこのエピソードが一番好きだ。クリスマスに無関心な彼は、妻を一人残して仕事をする。ところがそんな彼が往診したのがコソボ出身のカップルだった。妻がセルビア人で夫がアルバニア人、故郷に帰れば妻は問答無用で殺される。必死で逃げてスウェーデンに住む夫の姉の所に行く途中だった。
新しい命の誕生と、紛争を乗り越える愛。先にこの物語に奇蹟はないと書いたが、彼らの赤ん坊こそ奇蹟そのものだと言えるのではないか。彼らに車を貸し与え、自分は歩いて帰宅しながら妻に電話をかけるクヌート。要するにクリスマスを祝うことそのものが大切なのではなく、夫婦で過ごすというその事実が大切なのだと気付いたのだった。一方トマス少年(モッテン・イルセン・リースネス)はイスラム教徒のビントゥ(サラ・ビントゥ・サコール)と町でである。宗教的にクリスマスを祝わない彼女であったが、彼もまた家族と共にクリスマスを祝うつもりはなかった。最初は家族と共にクリスマスを祝うことに対して何問題があったのかもしれないが、観ているうちにそうではないと感じた。
要するに、クリスマス一色にそまる町のなかで彼女だけが異質な存在である夜、そんな彼女に対して自分はクリスマスを祝うから帰るとは言えなかったのではないだろうか。それは彼なりの優しさのようにも思える。2人がシリウスを見つめる光景はまさしく北欧ならではの光景だろう。こんなピュアな2人がいるかと思えば、不倫の2人もいる。愛人のカリン(ニーナ・アンドレセン=ボールド)はクリスマスが終わっても離婚するつもりのないクリステン(トマス・ノールシュトローム)に怒りをぶつけるが、何と彼は「同時に2人の女性を愛してしまうことがあることに気がついた」などとのたまうのだ。教会で行われるミサでカリンはクリステンに貰った赤いマフラーをして前のほうの席に座る。
右隣にはカリンと同じマフラーを巻いた女性が…(笑)その隣のクリステンが冷や汗をかいているのが実に愉快だ。この時さりげなく彼らの後方にクヌートと妻が座っている。きっとあの後2人は落ち合ってクリスマスを共に過ごしたのだろう。故郷に帰る金も無く、無賃乗車がばれて電車から放り出されたヨルダン(ライダル・ソーレンセン)は雪の中を歩き、停めてある車を盗もうとする。警報機が鳴り女性が出てくるのだが、なんとそれはかつての恋人だった…。いまや中年になった2人の語り合う姿はまるで幻のように見えなくもない。それはヨルダンの心の中で無意識に願った事のようでもある。物語の構成は、『ニューヨーク、アイラブユー』のようでもあるが、こちらの方がもっと庶民派。
人は生きてゆく上で誰しも様々な悩みを抱え、時として道を踏み外すこともある。しかしそれでも生きていかねばならない。クリスマスの夜はそんな彼らが自分の気持ちに正直でいさせてくれる一年で唯一の日なのかもしれない。単純にイベントとして捉える日本的なクリスマスの存在意義もありだとは思うが、宗教文化に根付いたクリスマスと言う日の在り方を見せてもらった気がした。
個人的おススメ度
3.5
今日の一言:個人的にクリスマスはどうでも…w
総合評価:74点
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