-×- (マイナス・カケル・マイナス)
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| 2010年現在は-×-=-かもな… |
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マイナスとマイナスを掛けたらプラスになる。小学校の算数でそう習ったのだけれど、果たして本作でも自らの内にマイナスを抱える青年と少女の人生が時に交差し、最終的にはプラス、即ち未来への展望が見える形での結果を迎えていたように感じた。物語は2003年3月18日から20日の3日間、アメリカがイラク戦争へと突入するタイミングの大阪が舞台だ。タクシーの車窓から見える太陽の塔は、言うまでも無く1970年の大阪万博のシンボルであり、高度経済成長期終盤のシンボルでもある。しかしそれを横目に見て運転しているドライバー吉村貴治(澤田俊輔)は古いアパートの家賃も滞納し、消費者金融からの借金もしているいわゆるワーキングプアな青年だ。
そんな吉村がひょんなことから乗せた客・林京子(長宗我部陽子)は、人妻でありながら彼を誘うように自宅に招き入れる…。一方、両親の離婚で引越し、父親と新しい生活をスタートさせた藤本凛(寿美菜子)は、久しぶりに母と会うその席に母の恋人が現れたことでショックを受け、親友の智美(大島正華)に八つ当たりしてしまうのだった。2人を見ていて感じたのはバブル崩壊後に生きる若い世代に対してのしわ寄せのようなものだ。34歳の吉村は丁度就職氷河期真っ盛りに学校を卒業していることになる。更に、中学生の凛に到ってはバブル崩壊のタイミングで生まれてきたということだ。両者は年の差こそあれ日本人が輝かしい未来への展望が抱けない次期を潜り抜けてきた存在であると言える。
調べてみると本作の伊月肇監督も丁度2003年に大阪芸術大学を卒業している。つまり吉村と同世代の監督は、正に自らが感じてきたものをそのままこの作品の登場人物で描き出しているのではないだろうか。如何にも適当で無駄話ばかりしている先輩ドライバーの傍らで一生懸命車を洗う吉村を見ていると、決して彼がいい加減なヤツではないことは解る。京子の妙な誘いにのって自宅に上がってしまうのは、ある種若者らしいのだが、その黒い妄想を実行に移さないのも、ある意味到って健全な青年だと言えるだろう。ただどこか諦めたように毎日を惰性で生きているのは否めない。凛は自分が母が男と歩いていたことを父に告げ口したことが離婚の原因だと自分を責めていた。
具体的に描かれてはいないがそんなことではないのは当然だ。実際父親はそれが無くても離婚していたと言っているし、そもそも夫婦の間の事柄を中学生の女の子が全て把握できるはずもない。つまり彼らは2人ともマイナスを抱えてはいるが、その人間の本質までもがマイナスなのではなく、生きている環境に染められたマイナスだと言えるのではないか。さて、最初にそんな2人の人生が交錯すると書いたが、その映像構成が絶妙で面白かった。例えば京子が住んでいる団地は凛が引っ越す前に住んでいた場所なのだが、荷物を取りに戻った凛の父親が呼んだタクシーの運転手が吉村だったりする。といってもカメラのフォーカスは手前で遊ぶ凛にあり、吉村たちはぼやけた映像で小さい声だけが聞こえる。
他にも吉村が赤信号に気付き急ブレーキを踏む目の前を凛と父親が通り過ぎたり、凛と智美が校庭で遊んでいる脇の道路を吉村が京子を乗せて通り過ぎたり…。それぞれのエピソードを観ている時には一瞬のカットで、しかも見ている風景の一部に過ぎないため全く気がつかないのだが、後から全く同じカットをしっかり見せられて初めて気づくのである。最終的に悩みが解決した凛が、父と共にバスの中で大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」を歌うシーンは、少なくとも凛たちは長きに渡った閉塞感から抜け出したことを感じさせる。一方の吉村は、京子の秘密を知り彼女の家に駆けつける。映画はそこで暗転し終わるのだが、全てを吹っ切ったかのような彼の顔が印象的だった。
別に今の社会の閉塞感が晴れたからといって、あのバブル当時のような狂乱騒ぎはもう二度と来ないだろうが、そもそもそれ自体経験していない監督にとっては、普通に努力しそれが普通に報われる社会が来ることを望んでいるに過ぎないのだと思う。子供たちが元気に楽しく学校に通い、将来への夢を持て、弱者に対して思いやりを持てるというその昔は当たり前であった社会。劇中の2人にはそんな未来が見えて心が解放されるような感じだったが、実社会においてはどうだろうか。東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故で、この作品が作られた2008年よりも後退してしまっている感じがしなくもない。
個人的おススメ度
3.5
今日の一言:ギリギリバブルの恩恵を受けた世代です
総合評価:72点
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