ミラノ、愛に生きる/Io sono l'amore
ロシアからイタリアに嫁いできた上流階級の女性が、息子の友達と恋に堕ちてゆく姿を描いたヒューマンドラマ。主演は『フィクサー』でアカデミー賞助演女優賞を獲得したイギリスのティルダ・スウィントン。共演にフラヴィオ・パレンティ、エドアルド・ガブリエリーニ、ガブリエル・フェルゼッティらが出演している。監督はルカ・グァダニーノ。 |
何で不倫してるのやらさっぱり |
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『ミラノ、愛に生きる』という邦題がまさにそのままな作品だった。オスカー女優であり、硬軟取り混ぜて実に多くの作品に出演しているティルダ・スウィントンが主演ということもあり期待していた作品だったが、作品のクオリティ的にも脚本的にも肩透かしをくらってしまったようだ。話の大枠はティルダ演じるエンマが息子の親友アントニオ(エドアルド・ガブリエリーニ)と不倫をし、それが思わぬ結果を招くことに繋がってゆくというもの。ところが、そもそもエンマが不倫に走る理由からして描写不足でどうにもしっくりこない。恋愛に理由なんか必要ないでしょ?と言われれば返す言葉も無いのだが、そうだとしても余りに説得力にかけるのもどうかと思うのだ。
エンマは元々ロシア人でイタリア人で繊維業で財をなしたレッキ家の後継者タンクレディ(ピッポ・デルボーノ)に見初められイタリアにくることになった。嫁いで以来一度もロシアには帰っていないらしい。3人の子どもに恵まれセレブな暮らし、何も不満は無いようではあるが、故郷への想いや、自らのアイデンティティに不安を抱いていたようには受け取れた。そんな中で故郷と彼女を結びつける唯一のものがロシア風魚のスープ「ウハー」である。息子エドアルド(フラヴィオ・バレンティ)はこれが大好物で、更に家族の中でただ1人ロシア語を話すことも出来るのだが、それは裏を返せば非常に強い母への愛情に他ならない。ちょっと見た目にはマザコンに見えなくも無いほどだ。
しかし貧乏人ならともかくセレブである。何故ロシアに帰れないのか解らない。子育てに忙しかったり、名家に馴染むのに時間がかかったりという理由はあったにせよ、結婚以来一度も帰っていない理由にはなり得ない。そんな彼女がエドの親友アントニオと不倫に堕ちるのだが、それはシェフである彼の料理の素晴らしさに感動したことがキッカケだった。一応この前段階として、娘エリザベスが彼女に自分がレズビアンであることをカミングアウトするシーンがある。最初は驚いた彼女だが、自分の人生を自由に生きる我が娘に触発された部分もあったのかもしれない。しかしだとしても、それで不倫とはこれまた短絡的にも過ぎるのではないか。しかもタンクレディは特別酷い夫には見えなかった。
走り出したら止まらないエンマは、何かにかこつけてアントニオと出会う機会を作り、彼と肉体関係にも堕ちる。一方で、もう一つしっくりこないのがアントニオの方の気持ちだ。セレブとはいえ一方的に文字通り母親世代の女性に言い寄られ、しかもそれは親友の母親であり、尚且つ不倫。繰り返しになるが、恋に理由は要らないというのであれば、物語など成立しないし作る意味もない。数々の物理的心理的ハードルを越えてまで惚れ込むにしてはその動機があまりにも薄くて弱いようにしか感じられなかった。エドはタンクレディと共に祖父から後継者に指名され、会社の仕事に携わるようになるが、自分の意見が全く取り入れられない。不満をぶちまけようとアントニオの家を訪れるとそこには…。
アントニオの家に落ちていたのはエンマの髪の毛だった。彼女は彼の家で決心を決めるかのごとくショートヘアにカットしていたのだ。余りの無用心さ加減にとてもではないがリアリティのカケラも感じられない。それともイタリア人は不倫であろうがオープンにというのが当たり前なのだろうか。パーティーの席上で母しか知らない「ウハー」をアントニオが作って出して来たことでエドは2人の関係に気付く。ただでさえ不倫は裏切りなのに、相手が親友とあっては二重の裏切りだ。しかも彼はマザコン気味であるほどにエンマを愛していたのだからそのショックは計り知れない。母との言い争いの最中に足を滑らせて頭を強打しプールに転落、そして死亡…。哀れだが余りにもチープな演出だ…。
アート的、文学的雰囲気を出しつつも、実際には描写不足でストーリーもナンセンス。何より肝心要のエンマがこれだと単なる若い男に狂ったおばさんでしかない。愛情と言う言葉にしがたいもの、理屈で説明しがたいものを映像で表現してこその映画だと思うが、結局この作品は曖昧なものが曖昧なままに放置されているように思う。
個人的おススメ度2.0
今日の一言:俳優陣の衣装は実にスタイリッシュでした
総合評価:54点
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