マシンガン・プリーチャー/Machine Gun Preacher
|
![]() |
暴力と非暴力の二元論に矮小化せずに観て欲しい |
あらすじ・作品情報へ
←みなさんの応援クリックに感謝デス
本作はドラッグの売人だった主人公サム・チルダース(ジェラルド・バトラー)が宗教に目覚め、とあるきっかけから南スーダンの子ども達の惨状を救うべく活動している姿を描いたもので実話に基づいている。というより、今現在もサム・チルダースは存命でその活動を続けているのだ。ただ日本ではやや馴染みの薄い南スーダンという国の事だけに、少しだけ事前の知識があると、話をより理解し易くなると思う。南スーダンは長い内戦を経て2011年7月8日にスーダンから分離独立を果たした出来たばかりの国だ。従って本作に描かれている当時は内戦真っ只中。サムたちを守っていたのはスーダン人民解放軍といい、いわゆるスーダンの反政府組織である。
しかし話の中に登場してきて、サムたちを襲撃したり、彼らが子供たちを救出する相手はLRA(神の抵抗軍)という。何も知らずに観た私は、反政府組織とLRAの関係がイマイチよく解らなかったのだが、実はLRAは南スーダンの南に位置するウガンダの反政府組織だった。要するにスーダン人民解放軍はウガンダ政府の支援を受けており、その報復としてスーダン政府がLRAを支援していたのである。いずれにしてもこのややこしい状況の一番の犠牲者は子ども達であり、LRAはこの20年間で延べ4万人にも及ぶ子ども達を誘拐し、更に望まないままに銃を持たせ戦わせたのだった。と、ここまでがこの物語の極簡単な背景となる。更に詳しくは公式サイトのコチラを参照して欲しい。
物語は大きく2つに分けられるだろう。それはサムが南スーダンに孤児院を建てようと決意する前と後だ。序盤はサム自身の本質的な人となりが描かれていた。それは即ち、彼が人間の醜い部分も含めて自ら観て体験しているということだ。サムはいわゆるNPOのような活動家ではなく、必要であれば自ら銃を取り人を殺すことも厭わない。物語の途中に非暴力を訴える女性活動家に非難されるシーンがあるのだが、彼は自らの経験から、理想を実現するにあたっては時として力が必要な現実が存在することを知っているのである。恐らくこの部分が本作では最も人による感じ方の違いを生む部分だろう。しかし私は、単純に暴力では何も解決しないといったような理想論をねじ伏せる説得力を感じた。
少なくとも実際に彼は危険に身を晒し、私財をなげうって行動を起こしている。くだんの女性活動家はLRAに襲撃されたときに手を上げて話し合いをしようと近づくも、あっさりと銃で殴り倒される。サムはそんな彼女を救うために躊躇無くその敵を射殺するのだが、彼女たちの一行が殺されて物資を奪われることは、彼の地の罪無き人々にマイナスにこそなれ決してプラスにはならないのは明白だ。さて、そうは言っても彼がまったく何の悩みも葛藤も無くそんな活動をし続けられたのかといえばそれは違う。何故なら彼にはアメリカに守るべき妻と娘がいたからだ。自ら建てた教会で説教をし寄付を募るも、そう簡単に資金は集まらず、いわゆる完全持ち出し状態が続く。
友人のセレブが贅沢なホームパーティを開いておきながら、寄付してくれたのがたったの150ドルだった時、彼は怒りを爆発させるのだが、そんな時にも妻リン(ミシェル・モナハン)は彼を支え続ける。娘のプロムのリムジン代まで出さず、常に留守がちと、妻子を犠牲にしながら子供たちのために活動を続ける彼が、徐々に精神的に追い込まれていく姿は痛々しいとしか言いようがなかった。そこまでしても自らの判断ミスで子供たちが虐殺され、それどころか自らを狙うスナイパーを射殺したらそれも子供だったりするのだからこれは観ているこちらもやりきれない。教会での説教のシーンは何度か登場するのだが、段々その様子が狂信的なアジテーターのようになって行くのが象徴的だ。
たとえ銃を手にしても、子供たちを守り救うという想いが必ず第一にあったはずが、やがて敵を殺すためだけに銃を持つようになると、もはや彼は単なるスーダン人民解放軍の兵士、いやアメリカ人だから傭兵だ。あれほど慕ってくれていた子ども達は近づかなくなり、兵士ですら彼と戦うのを嫌がるようになる。要するに彼らとて暴力を否定をしないが、あくまでもそれは手段であり、手段が目的に取って代わることまでは肯定していないのである。そんな時に一人の孤児の言葉が彼を救う。「心を憎しみで満たしたらヤツら勝ちだよ」。LRAに兄弟を誘拐されただけでなく、自らの母親を殺すようにさせられた少年の言う言葉は、か細く小さな声だがしかし力強いものだった。
エンドロールでサム自らが実際に私たちに問うていた。「もしあなた方の子供や家族が誘拐されそれを私が助けると言ったら、その手段を選びますか?」と。無論答えは決まっている。上映前に戦場カメラマンの渡部陽一氏が登場し、こうしたスーダンを含めた戦争の犠牲者となった子ども達のことを世に知らせるために自分は戦場カメラマンになったと語っていたが、私たちは今直ぐ何か行動を起こせないとしても、実際に活動している方々の想いを受け取ることは出来る。それが彼らのモチベーションに繋がるのであれば、それでも一つの小さな行動になるのではないか、そんな風に思えた。
![]() |
個人的おススメ度3.5
今日の一言:南スーダンのPKO部隊、頑張ってください!
総合評価72点
| 固定リンク
最近のコメント