RIVER
2008年6月に起きた秋葉原無差別殺傷事件で恋人を失った女性が喪失感から立ち直ろうとする物語だ。撮影開始直前に東日本大震災が起こったことで、急遽被災地でのロケも敢行し、被災した両親をもつ青年との関わりも描き出す。主演は『君に届け』の蓮佛美沙子。共演に柄本時生、田口トモロヲ、中村麻美らが出演している。監督・脚本は『雷桜』、『余命一ヶ月の花嫁』の廣木隆一。 |
大震災と通り魔は同列には語れない |
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蓮佛美沙子が観たくて鑑賞してきたのだがその意味では満足。最近は脇役が多かったが、久々の主演は中々の好演。随分上手くなったものだと感心した。2008年6月に起きた秋葉原無差別殺傷事件で恋人を失った女性・ひかりというのが今回の彼女の役柄だ。冒頭15分間、秋葉原の駅から街をただひたすら歩く彼女をカメラは追い続ける。道行く人々がカメラを見て「撮影?」という表情をしているのが覗えるが、しかし蓮佛美沙子だけは当然演技をしている訳で、ドキュメンタリーとフィクションが合わさった奇妙な雰囲気がスクリーンを支配していた。実はこの時、彼女は監督から。「セリフは覚えてこなくていいし、言いたくないセリフだったら言わなくていいから」と言われていたのだという。
15分の最後の方で彼女は泣きながら街を歩き続けるのだが、この瞬間に蓮佛美沙子の中にひかりが入ってきたのだそうだ。電気オタクで秋葉原に入り浸っていた恋人、その恋人が心の底から愛した街に触れることで、彼を失った喪失感から立ち直ろうとするひかり。彼女は恋人を知っている人間を捜し始めるが、それは彼が確かにこの世に存在した証を探しているかのようだ。それは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のオスカー少年が同じく喪失感から立ち直ろうとニューヨークの街を必死にブラックさんを探しもとめる姿に似ている。結果など解らないけれど、何かに縋らないと生きていけないほどの心の傷から人間は一体どうやって立ち直ったら良いのだろうか。
っと、この辺までは良かった。話がおかしくなってくるのは彼女が佑二(小林ユウキチ)と出逢ってから。彼のことを知っていると言う佑二は、彼女にとっては彼が確かにこの世に実在し、秋葉原で確かに生きていたのだということを証明する人間である。おかげで彼女が立ち直るのは構わないのだが、そのきっかけに東日本大震災を使うのが気に入らない。現実を受け入れられず、もしかしたら今自分が存在している世界は現実ではないのかもしれないと言う彼女に、祐二は「あれが現実だよ」と瓦礫の山となった被災地の様子を映すテレビ画面を指し示すのだ。本作は3.11の2週間後に撮影を開始したという。当然そこまでは入っていなかったものを急遽脚本に取り入れたことになる。
『ヒミズ』の記事でも書いたが、この震災を受けて何がしかの影響を受けない作り手はいないと思うし、むしろ自分の作品の中に何らかの変化が見られないほうがおかしいとは思う。その意味では廣木監督の判断は間違いではないのかもしれない。しかし一人の狂人の巻き起こした事件と、東日本大震災を同列にして語ることにはどうしても抵抗を感じざるを得ない。しかもきっかけだけならまだしも、祐二の両親は被災したという設定になっており、このあと彼はひかりの説得で被災地に帰郷するのだ。このシーンは冒頭の15分と対になっている。カメラは佑二を追いかけ、彼は被災地をひたすら歩き最後も同様に嗚咽を漏らす。ただ秋葉原の事件を起こしたのはあくまでも人間だ、当然そこには理由がある。
そして東日本大震災は、津波は天災である。語弊を恐れずに言えば前者は防げるが後者は防げない。大切な人、愛する人を失った喪失感は確かに同じかもしれないが、だからといってそれだけで一括りにして良いとは思えないのだ。ひかるやその恋人と事件の犯人の違いはなんだったのか、何故こんな事件が起きてしまい、それに対して私たちは何が出来るのか出来ないのか。本来はそこまで描いてこそ意味がある物語だとは思う。だがそこまでしないなら、ひかりに密着するだけでいい。恐らくは最初はそうだったのではないか。理不尽な現実に直面した2人という描き方は一見似たもの同士に見えるけれど、少なくとも秋葉原の事件を理不尽な現実で済まして欲しくはないのだ。
個人的おススメ度2.0
今日の一言:久しぶりに観た秋葉原は変わってた…
総合評価:50点
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