アンネの追憶/Mi ricordo Anna Frank
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| 精一杯幸せになろうとした少女 |
あらすじ ![]()
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本作は「アンネの日記」の著者、アンネ・フランクの親友ハネリー・ホスラーの証言をまとめた「もうひとつの『アンネの日記』」をベースに作られたドラマで、基本的にフィクションだ。それはエンドロールの最中にも字幕で表示される。しかし、たった15歳の少女が過酷な収容所生活の中ですらその豊かな想像力で精一杯の幸せを得ようとする姿をみるとそんなことはどうでも良く思えてくる。小学生時代に親友となったアンネ(ロザベル・ラウレンティ・セラーズ)とハネリー(スルディ・パンナ)、アンネ13歳の誕生日の日に2人はお互いの将来の夢を語り合うのだが、アンネは作家になりたいと目を輝かせるのだった。私たちはその願いが哀しい形で成就することを知っているだけに切ない…。
この時父オットー(エミリオ・ソルフリッツィ)から貰った日記帳にアンネは日々の出来事を綴るのだがこれが「アンネの日記」である。アンネの死後、収容所に送られた家族の中で唯一生き残ったオットーの手により出版されることで、現代の我々もその日記を読むことが出来るわけだ。さて、アンネ一家とアンネの友達・ペーターたちの一家の計8人はオットーの会社の同僚ミープの手で会社のビルの隠れ家に潜むのだが、このミープたちオランダ人の心意気がいい。ユダヤ人が黄色い星を服につけるように義務付けられると、彼らはオランダの花であるチューリップ、それも黄色いチューリップを服に付けて無言の抗議の意志を表すのである。ところが、何者かの密告でアンネたちは逮捕されることに。
話としてはここからが本題だ。アウシュビッツに輸送される列車の中、恐怖を訴えるペーターの目を瞑らせ、自らの言葉で楽しい出来事を夢想させるシーンは彼女の心の豊かさ、少女としての無邪気さがとても感じられた。ところでアンネ役のロザベル・ラウレンティ・セラーは1996年生まれの16歳。ほぼこの時のアンネの年に近い。しかもとびきりの美少女で、そんな彼女の豊かな髪の毛が収容所でむりやり短髪にされてしまうだけで思わず彼女に感情移入してしまう。ちなみに映画よりも普段はテレビの方で活躍しているようだ。話を元に戻そう。収容所では働ける者と働けない者に選抜され、働けない者は即座にガス室送りとなる。数々の映画で描かれているがいつ観ても嫌な光景だ…。
アンネたちの時も約半数が即殺されたというのだが、ガス室に送られる子供たちを前にしたシーンがなんとも印象深かった。アンネは薄々彼らが殺されることに気付いている。そしてそんな彼女にドイツ兵は「お前もくるか?」と訪ねるのだ。彼女はそれには答えず、子供たちに「歌を唄おう」と語りかける。目に涙を溜めながら…。何も出来ない自分、そうは言っても彼女とてまだ15歳なのだ。構成的に少し気になったのが、この収容所のシーン。基本的に物語はオットーの回想という設定だから仕方がないといえば仕方がないのだが、家族がバラバラにされてしまうせいか、エピソードの主がアンネだけでなく、父オットーや、哲学者のラビ(モーニ・オヴァディア)の場合が出てくる。
更に、基本的に最後にアンネが死んでしまうという事実があるために、いつしか話の中心がオットーへと移り変わって行くのだった。個人的にはもう少しアンネ中心に展開して欲しかった。例えば乏しい食料を看守に渡してまで鉛筆と紙を手に入れたい程にモノを書きたい彼女の気持ち、それは十分に伝わってくるかと言えばやや弱い。彼女が収容所の生活で何を考え、どんな希望を、或いは絶望を覚えたのか、そんな心理描写があってこそベルゲン・ベルゼン収容所でハネリーと顔が見えない再会を果たすシーンがより際立つと思う。リアリティとして父が実際に逢えていない娘の細かな心情まで回想できるかといえば無理に決まっているが、そこはフィクションでも構わないはずだ。とはいえ、他の多くのユダヤ人同様、15歳の少女を襲った過酷な運命にはタダひたすら心の痛みが抑えられなかった。
個人的おススメ度
3.5
今日の一言:ロザベルのほかの作品が観たい…
総合評価:70点
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