エクソシスト/The Exorcist
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人間の本質的な恐怖を喚起する名作 |
あらすじ
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少女に憑依した悪魔と闘う悪魔祓い師=エクソシストを描いた1973年公開のオカルト映画の名作。最終的に悪魔と闘うメリン神父を『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』でアカデミー賞にノミネートされたマックス・フォン・シドーが演じている。御年83歳のシドーが44歳の頃の作品だが、流石に若い……と思いきや案外変わってない(笑)ただこの作品の特徴は、そもそも悪魔とメリン神父との闘いがメインではないと言うことだ。実際、最初にイラクの古代遺跡で発掘作業をしているメリン神父が描かれ、そこで暗示的に悪霊バスズの姿を見せてはいるものの、物語の大半はワシントンにいるクリス(エレン・バースタイン)とリーガン(リンダ・ブレア)母娘を中心に進んでいく。
また、それとは別にクライマックスでメリン神父の助手を務めるダミアン・カラス神父(ジェイソン・ミラー)の人物像や背景も描かれていくが、言ってみれば彼の存在そのものがクライマックスへの伏線になっていると言っても良いだろう。事の起こりは女優のクリスが撮影のために借りた家の天井裏でなにやら原因不明の騒音がすることだった。無論それが悪魔の仕業であり、リーガンに憑依することは解って観ていたが、特に憑依した瞬間とでも言うような描写はない。ただクリスが蝋燭に火を点けて屋根裏部屋への扉を開くシーンを見ていると、まるで人間の本能に訴えかけるかのような嫌な気持ちがしてくるから不思議だ。物陰からクリスを覗く視線のような映像が余計に危機感を煽る。
事ほど左様に、本作では人間が本質的に恐怖させるような演出が実に上手い。もちろん客観的に観れば現代ならばVFXの発達でもっとリアルな映像表現が可能に決まっている。憑依されて悪魔の表情に変化していくリーガンの顔も、今観れば特殊メイクがバレバレだし、かの有名なクビが360度回転するシーンもあからさまに人形だ。ただそうした目に見える部分はあくまで結果であり、そこに至る過程にたっぷりと時間をかけ、緻密に計算された映像表現を重ねていくからこそ我々はそこに恐怖を感じるのである。リーガンは最初は外科的な医者にかかり、次に精神科医にかかる。悪魔の仕業ではあるものの、その間徐々に彼女は傷め付けられ憑依されていくのだが、その姿を彼女の顔の傷で表現している。
万策尽きてやっとエクソシストだ。しかしそれでもまだすんなりとは行かない。ダミアン神父は精神科医でもあるため、最初は悪魔に憑依されたなどと言うことを信じないのである。八方塞で一体どうしたら良いのか解らない迷い、そしてそこに差し込む僅かな希望、それすらも閉ざされようとすることで、人智の及ばざる魔の者に対して人間の無力さを感じてしまう…。最初にダミアン神父の存在が伏線そのものと書いたが、彼のエピソードが活きて来るのはここからだった。ダミアン神父は母親想いの人間で、その母の死で自分を責めていたのだ。同時に本当ならリーガンが知るはずのない自分の母の死を知っていることで、本当に彼女に悪魔が憑依していると信じるようになるのである。
かくしてメリン神父が呼ばれダミアン神父と共に悪魔祓いの儀式に入るのだが、そこに現代風の過激な演出は一切ない。神父が聖水を振り掛けるとリーガンは苦しみ、傍で聖書をひたすら読み上げる、ただそれだけである。目に見える変化と言えばリーガンが緑色のドロッとした液体を吐いたり、空中に浮かんだりするぐらい。しかし、吐く息が白くなるほど下がった室温や、時折サブリミナル的に挿入される悪魔の顔、そしてダミアン神父の弱点である母の死に対する悪魔の言葉による攻撃、こういったシチュエーションを多数重ねることで我々はその壮絶な闘いに恐怖しながらも興奮してしまう。ラストシーンに残るモヤモヤ感、それは本当にこれで悪魔は去ったのかという漠然とした不安だろう。つまり単勝敗だけのオカルト対戦映画でないこの深みこそが本作の真骨頂なのだ。
個人的おススメ度4.0
今日の一言:テーマ曲がまた不朽の名曲だね!
総合評価:78点
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