きっと ここが帰る場所/This Must Be the Place
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今度のショーンはビジュアル系 |
あらすじ
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初めて予告編を観た時からショーン・ペンがビジュアル系?と興味津々だった作品。それ以外に一切の予備知識は無かったのだが、意外にもこれがロードムービーだった。個人的にロードムービーはあまり得意でないのだが、幸いにも?旅に出るまでかなりの時間を要すので逆に観やすかったというのが皮肉だ。名優ショーン・ペン(御年51歳)が今回演じるのはかつてのロックスター・シャイアン。いい年の男がファンデーションを塗り、真赤なルージュを引く姿は正直言って気持ち悪いし、妙にか細い声で喋るその様子はお世辞にもカッコいいロックスターには見えない。ところが不思議なことに時間を経て慣れるに従って見事にハマって見えてしまうのがショーンマジックというものだろうか。
そもそも本作では一切説明らしき説明が無い。ロックスターと言うのも別に本人がそう言っている訳ではなく、例えばミック・ジャガーが彼と一緒に歌いたがったという話があったり、或いは初めての街でも見知らぬ他人に名前を呼ばれたりするのだからこれは相当名の知れたなミュージシャンだったのだと思わざるを得ないではないか。豪邸に住み、愛する妻のジェーン(フランシス・マクドーマンド)と何不自由ないセレブな生活。しかし既に歌うわけではないのに毎日メイクをし、外出する時はキャリーバッグを手放さず、ボソボソと喋るその姿はどこか精神的に病んでいるようにすら見える。一体彼に何があったのか、どうして彼が音楽をやめることになったのか、それは後ほど判明するのだった。
さて、ある日シャイアンの元に30年前に絶縁した父が危篤だとの連絡が入る。久し振りに生まれ故郷のニューヨークに戻った彼だったが父の死に目には間に合わなかった。そもそも30年前に初めてメイクをした時から父との不仲が始まったようなのだが、恐らくソコから彼の陰鬱とした心は晴れたことがなかったのではないか。旧友であるデイヴィッド・バーン(本人)のライヴに出かけた際に彼は自らの陰なる精神性に基づいた曲を聴いて自殺した兄弟の話をする。要は彼は自分のせいで少年を死に追いやったことに責任を感じて音楽を止めたのだった。このシーン、デイヴィッド・バーン本人が本人役で登場し、名曲「THIS MUST BE THE PLACE」を披露してくれる。
かなり音楽に疎い私ですら知っているこの曲はやはり素晴らしい。シャイアンは聞きながら涙ぐむのだが、本当は父の愛を欲しており、家を出たくなどなかった彼からしたら正に父親こそが「帰る場所」だったのかもしれない。そんな彼は父の葬儀の席で、実は父がアウシュビッツにいたSS隊員のアロイス・ランゲを探し続けていたことを知る。この展開には私も驚いた。よもやここで“ユダヤ”とか“アウシュビッツ”といったホロコーストにまつわるキーワードが登場するとは思ってもみなかったからだ。かくしてシャイアンは父に成り代わってランゲを探そうと決め、ようやくここから見かけビジュアル系オヤジロッカーのアメリカ横断の旅が始まるのだった。
ランゲの妻ドロシーやその孫娘レイチェル、そしてレイチェルの一人息子、それらの人たちと出会いを重ねながら徐々にランゲの元へと迫るシャイアン。しかし旅を続け、ランゲの家族たちと出逢う旅に少しずつ彼の闇に光が差し込み、頑なに凝り固まった彼の心が解きほぐされていく様子が見えてくる。ただシャイアンはそんな自分を必死で否定しようとしているように見えた。父の恨みを晴らすこと、それが自分の存在意義であり、そうすることで30年に及ぶ父の呪縛から逃れようとするかのようでもある。既に目も見えなくなっていた老人ランゲに対する仕打ちはある意味銃殺した方がよほど慈悲深いと思われるけれど、復讐が苛烈さは即ちシャイアンの父への愛の深さなのだと思う。全てが終わり、恐らく母親と思われる女性の元に戻ってきた彼の表情が印象的だった。
個人的おススメ度3.0
今日の一言:何故かしっくり馴染む…
総合評価:72点
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